日本社会では「不幸は売れる」

このネクロフィラスな傾向と神経症とが結合して、他人の不幸への関心が生じる。週刊誌は有名な人々の不幸を、繰り返し繰り返し、しつこく報道する。これでもかこれでもかと報道する。

ある週刊誌の記者が私に、「不幸は売れるんですよ」と言ったことがある。中には不幸の報道を超えて、恵まれた人々の幸福を破壊することに執念を燃やす記者までいる。恵まれた人々を傷つけることに快感を覚える。ネクロフィラスな記者である。ある記者は「ずいぶん、いろんな人の人生をおかしくしたな」と言っていた。

ネクロフィラスな人がいる以上、その週刊誌の記者が言ったように「不幸は売れる」。猫がネズミを瞬時に殺さないで、何回もネズミが苦しむのを楽しむようなことを、私たちは人間同士でしていないか。

そして、日本では悲観論の方が楽観論よりももてはやされる。どんなにその悲観論の予想が外れても、飽くことなく悲観論が繰り返される。まさに、フロムが母親の子どもに対する態度について言うごとく、「良き変化には感動せず」である。

「子どもが問題を抱えると、急に元気になる親」の正体

「ネクロフィリアという用語は、性的倒錯や女の死体を性交のために所有したいという欲望を表現する」などと書かれた本を読めば、誰でもこれは自分とは関係ないと思う。これは特別に病的な人たちの話であると思う。

たとえば、ある企業の社長の御曹司がフランスに留学してフランスの女性と恋に落ち、それがうまくいかなくて恋人を殺して、その死体を下宿で食べていた、というような話が新聞に載ったことがある。

しかし多くの人は、それは特別に心理的に異常をきたした人の話で、自分とは関係ないと思ったであろう。私もそう思った。

多くの人にとっては、それはショッキングな話で、自分とは関係ない話として受け取られる。しかし、そのような行為を実際に私たちはしないということであって、ネクロフィラスな傾向そのものと自分とはなんの関係もないということではない。

たとえば、弱者へのいたぶりなどはどうであろうか。弱者をいじめることで、自分が上に立っている。

子どもが問題を抱えた時に、嬉しくなる親がいる。いつも元気のない親が、急に元気になる。それは、劣等感の強い親である。自分の子どもであっても不幸が嬉しい。そこに親としての自分の役割が出るし、自分の劣等感が癒される。だから、子どもの不幸で、今までになくエネルギッシュになる。

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