新法には「相互扶助」の精神は消えている
45年に第2次世界大戦が終わり、48年に国保法の改正、保険者は原則市町村に。50年に出された社会保障制度に関する勧告では「生活保障すなわち社会保障の責任は国にある」と明言され、56年の「医療保障に関する勧告」では「医療を受ける機会の不平等が疾病や貧困の最大原因である」ことが指摘され、この勧告が「国民皆保険」につながっていく。
「57年度版の厚生白書には医療保険の適用を受けていない国民は約2900万人、総人口の32%におよぶと報告されています。無職者、高齢者、病人をすべて抱え込む医療保険制度をどうするか、そこで地域保険である国保を再編成し、59年に新国保法が施行されたのです」(寺内氏)
新法には“相互扶助”の精神は消えている。第4条には「国の責務」が明記され、国庫負担の根拠が示されたのだ。
「国民健康保険において支払い能力を給付の条件にすれば、負担能力のない層が排除され、“皆保険”である意味がなくなってしまう。国保財政を安定させるために国庫負担が絶対不可欠です」(同)
皆保険が機能しなければ、最低限の医療すら受けられない
コロナ発生以降、通常診療が行えないという医療崩壊が危惧されてきたが、皆保険が機能しなければ、そもそもその最低限の医療すら受けることができない。救急医療現場を密着取材していると、保険証がない、あっても所持金が数十円で窓口負担金が払えないという人にしばしば出会う。
国は国民の命を守るため「皆保険」を支える、「健康保険への支出」を決断するべきだ。
第44条には一部負担金減免、第77条には保険料減免を市町村が独自に実施できることも定められている。だが実際にはこれらも、生活保護レベルでなければ減免を許可されず、さらに滞納に対する措置は厳しい。
次回は、私のその後と、高い国保料に苦しんで滞納し、脱法的な差し押さえ処分を受ける人たちを取り上げる。(第2回に続く)