最も大事なのはブレる勇気を持つこと

カルトという問題を考えるときに最も大事なのは、自分が「正しい」と思った道を貫き通すことではなく、立ち止まって考え、しっかりとブレることのできる勇気を持つということである。

そもそも宗教は、その正邪を判断する基準を宗教そのものの外に持つことができないために、正しさを疑うことが容易ではないのだ。

いささか極端な話になるが、麻原彰晃が最終解脱を果たして覚者になったという話を、客観的かつ完全に否定することは不可能である。ほとんどの人がごく正常な感覚としてそれはウソだと言うだろうが、それは私たちの経験や感覚からくる嘘くささ、そして彼らがその後に起こした事件の反社会性から、そう予想して暫定的な判断を下しているに過ぎない。しかし宗教とは、そもそも人間の正邪の感覚や社会性の基準に縛られないからこそ、「宗教」なのであり、そうでなければ倫理や道徳と大差はない。

宗教が倫理や道徳の範疇に入るようなものならば、あれほどの犯罪を犯した麻原という人間を、いまだに尊師と仰ぐ人が多数存在することの説明がつかないではないか。

「正しさ」は時代によって変わる

東京工業大学の中島岳志教授は戦時中の真宗大谷派の戦争協力が、教義理解と反することを承知で、時代の要求に屈して「仕方なく」なされたのではなく、むしろ親鸞の教えから戦争協力の論理を積極的に見出し、一種の宗教運動としてなされたことを明らかにしている(『親鸞と日本主義』)。現在の大谷派は平和こそ念仏者の生き方だと信じているが、昭和二十年の敗戦までは戦争協力こそ念仏者の生き方だと信じ、それに反対するものを批判し告発し続けた。

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坂本弁護士一家殺害事件をはじめ、オウムの多くの犯罪に関わった新実智光は、逮捕後「一殺多生、最大多数の幸福のためのやむを得ない犠牲者である」とその行為の正当性を主張し続けた。この「一殺多生」という言葉、つまり一人の人が殺されることで多くの人が救われるのなら、その殺人は肯定されるという論理を表した言葉だが、戦前の日本の伝統仏教教団が戦争協力を推進するために使っていた言葉も、この「一殺多生」であった。

「一殺多生ハ仏ノ遮スル所ニ非スシテ愛国ノ公義公徳ナリ」と。そして「身ヲ殺シテ仁ヲナスハ教化ノ功績」と言っています。つまり、一殺多生は仏さまが禁止することではなくて、愛国のための正義であり、徳である。自分が犠牲となっても公義公徳を実践することは、布教による功績となる。と、「一殺多生」の布教が重要であることを訴えているのです。(大東仁『戦争は罪悪である―反戦僧侶・竹中彰元の叛骨』)

これらのことで明らかになるのは、反社会的なことをしたから偽の宗教だとも言えなければ、正しい宗教を信じていれば反社会的なことをしないというわけでもない。そもそも何が社会性なのかという基準も時代によって全く異なり、戦時中には国家と戦争に協力することが宗教の社会性そのものであった。

むしろ「宗教として何が正しく、何が間違っているのか」という判断基準に普遍的な真理は存在しない。ごく普通に善良な市民として生活しているつもりの私が、近代のアメリカ南部に生を受ければ、敬虔なキリスト教徒のままで黒人を差別していただろうし、戦時中に生まれれば、仏教徒のままで大日本帝国の侵略と勝利に酔い、連合赤軍の中にいれば人民の幸福を願って仲間をリンチして殺し、イスラム過激派の中にいれば宗教的救済を求めてテロで無垢な市民を殺し、オウムの中にいれば「人のために尽くしなさい」と麻原に教えられて、サリンを撒くかもしれないということだ。一番恐ろしいのはここではないか。