宗教には欠かせない「信順」と「殉教」の物語

浄土真宗には「腹籠の聖教」という話がある。本願寺八代目蓮如の時代、北陸伝道の拠点であった吉崎御坊(現福井県あわら市)が失火によって焼失する(1474年)出来事があった。

そのときに蓮如は親鸞の著作である『教行信証』証の巻を持ち出せなかったことに気づくが、それを知った弟子の本向坊了顕は、猛火に包まれる吉崎御坊の中に飛び込んだ。

黒い背景に孤立した燃える炎
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蓮如の居室にたどり着いた了顕は、焼けずに残っていた「証の巻」を見つけるが、すでに周囲は火に包まれており脱出できない。それを知った了顕は自らの腹を持参の短刀で十字に切り裂いて、「証の巻」を腹の中にねじ込んで命果てた。自らの身体をもって聖教を炎から守ったのだ。現在真宗大谷派の日常の勤行本は赤色の表紙なのだが、これは了顕が腹に聖教を入れて守ったことから、「血染めの赤」が由来だという説もある。

この物語は伝統的に人気の高い説教の題材であり、浄土真宗の歴史の中で長い間語られ続けた。私も幾度かこの説教を聞いたことがあるが、了顕が命をかけても守り伝えるものに出遇ったことから、浄土真宗の教えがいかに優れたものか、という説き方をされることが多かったように思う。こうした話は現代では狂信的であると捉える人も多いだろうが、宗教というのはおおよそこうした逸話には事欠かず、それなりの歴史を持つ教えなら、どこもこうした信順と殉教の物語をいくつかは持っているのである。

「正しさ」にブレなくなった時に暴走する

そして絶対的信順に生きるとき、それはどこまでも充実していて、迷いがないために楽で、自分の人生に一本の強い筋が通る。

「ブレない生き方」や「まっすぐな性格」に憧れるのもそうだ。しかし人間は「正しさ」を得てブレなくなってしまったときに、最も手に負えなくなる。それはナチスをはじめ、毛沢東やポルポトもそうであろうし、日本なら戦時中の帝国陸海軍や連合赤軍もそうだろう。

1978年に南米ガイアナで集団自殺事件があった。

この事件を起こした教団の名は「人民寺院」。設立者であるメソジスト教会の学生牧師ジム・ジョーンズは、アメリカ・インディアナポリスという保守的な土地であらゆる罵倒と嫌がらせを受けながら、人種差別からの解放を説いていた人物である。彼が既存の教会から袂を分かつことになったきっかけは、教会に黒人の信者を受け入れようとしたときに、長老や古参の信者たちから激しい抵抗を受けたことだった(キルダフ他『自殺信仰』)。彼は自らの理想を実現する教団として一九五五年に「人民寺院」を立ち上げ、貧民や弱者の支援、人種差別の撤廃を訴えたが、社会やメディアとの様々な軋轢の末にガイアナに教団の本拠地を移し、そこをジョーンズタウンと名付けた。

そこでジョーンズは隔絶された環境の中で、多くの信者と集団生活を始めたが、やがて集団は外部から攻撃を受けていると盲信し、信者への虐待や脱会者への罵りが始まり、自殺訓練がなされるようになる。この人権蹂躙の調査を行うために派遣された下院議員は教団によって殺害され、それをきっかけにジョーンズタウンの信者たちは、シアン化合物を混ぜたジュースを飲んで集団自決する。その数909人であった。

どうしてこんなことができたのか。

それは、「正しかったから」である。自分たちが絶対的に正しいと思っているから、従わないものを迷わず虐待したり排除したりできるのだ。そして少なくとも最初期の人種差別からの解放といった教団の思想は、現代の私たちの価値観から見ても十分に「正しい」と言えるものだった。