大切なのは自分で作り上げる過程

翌日は、図書館での資料探索となった。

ここからは私にできることはさほどない。バットとは何かという哲学的な問いはさておき、バットはどのようにして作られるのか、という質問には資料が答えてくれる。バットは「アオダモ」という木材で作られるのだが、なぜアオダモが使われるのか、さらに当時、アオダモから「ホワイトアッシュ」へと原材料が変化していく時期で、それはなぜか、を探究するだけで原稿用紙の規定数枚を費やすことができる。

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さらにA君は、当時の松井秀喜のバットを作る職人の紹介記事まで見つけ、10枚で収まりきれないほどの資料を集めた。土曜日はこれで終わり、翌日の日曜日は朝10時集合で、実作にかかることにした。インターネットでさらなる資料探索することを、その日の夜の宿題とした。

詳細は割愛するが、翌日、使う資料と使わない資料を振り分け、全体の構成に添って書く作業へと入っていった。

私が指導として最も介入したのは、この構成決めである。構成に従って引用箇所を定め、自分の所感を付け加えながら書き進め、詰まったら相談に乗るという形で、作品は坦々と完成に向かっていった。私は安易に解決案となる文言を示すことを避け、自力で原稿用紙を埋めることを求め続けた。A君の横で読書をして時間をつぶし、様子を見ながら、時折投げかけられる質問に短く答える。たどたどしく書き進める彼の文章は引用文が多く、お世辞にも上手いとは言えない。出来は中学3年生としては「普通」である。しかし「普通」の出来であっても、大切なのは、自分で作り上げてきた過程にある。

言葉を出るのを待ってくれる人がいなかった

A君は、私が本当に怒らず、苛立たず、バカにもしない人間だとわかると、休憩時間の間、少しずつ自分の境遇を語り始めた。

学校には行きたい、でも自分がなぜ学校に行く気持ちが持てないのかわからない。言葉を上手く選ぶことができない、迷っている間に言葉を待っている人が苛立つことがわかり、そうなるとますます話せなくなる。

これがA君の苦しみの源だった。

私は頷きながら彼の話を聞き、アドバイスをすることを避け、課題に取り組むことを促し続けた。A君は、私がよく自分の話を聞いてくれる存在だと思ったのか、あるいは強者特有の上からのアドバイスがなかったからか、休憩時間に、ぽつりぽつりと自分語りを重ねるようになっていく。