不登校の子に、周囲はどんな声かけをすればいいのか。中学3年生のA君は、不登校で留年の瀬戸際に追い込まれていた。進級のため作文指導を頼まれた塾講師の河本敏浩さんは、なにをアドバイスしたのか。河本さんの著書『我が子の気持ちがわからない 中流・富裕家庭の歪んだ親子関係を修復に導く17のケーススタディ』(鉄人社)より、一部を紹介しよう――。(第1回)
寄木細工の床床に水します
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不登校気味で留年の瀬戸際にあったA君親子

A君とのつながりは、懇意にしている教育関係者の仲介で、一つの依頼を寄せられたことがきっかけだった。

その依頼とは、中学の卒業制作で作文を書かねばならず、締め切りが迫りながらも、どうしていいかわからない、そこで個別指導にて原稿用紙10枚にわたる探究型の作文を仕上げる手伝いをしてもらいたい、というものだった。中学3年生で原稿用紙10枚というのは相当な分量で、頼る人もなく、母親が必死に適切な指導者を探し出そうとして行き着いたのが私だったのである。

当時、東京の恵比寿にあった私の事務所に、A君は母親と共に現れた。詳しく聞いたところ、それは単に卒業制作ではなく、中高一貫校に通う彼は長らく不登校気味で、併設の高校に上がるギリギリの状況にあり、10枚の作品を仕上げることが卒業・併設持ち上がりの条件となっていた。

A君は特有の雰囲気を持つ中学生だった。長身、猫背で、度の強い眼鏡をかけ、おどおどとした態度で、最初の顔合わせで私の問いに答えたのは全て母親である。

文章を書くという行為は、自分を前面に押し出すことである。

私は母親を早々に帰し、A君と2人きりの時間を作った。締め切りまで7日間。予備校の仕事の都合で、私にける時間は金曜日の夜、土曜日、日曜日の実質2日半しかない。さらに、まだテーマすら決まっていない。明確に白紙の状態からのスタートだった。そのなかで、何とか自分の力で10枚の探究型作文を仕上げてもらう。しかも、それは自分の心に適う、満足しうるものでなくてはならない。

こういった場合、最も簡単な方法は「代筆」である。関心のあることをインタビュー形式で聞き出し、私が書いてしまえば、それで当面の問題は解決する。作品提出はA君を卒業させるために学校が提示した条件で、学年全体の課題でもなく、厳しい審査があるわけでもない。となれば、誤魔化してこの局面さえ乗り切ればいい、という考え方は決してよろしくはないが、十分に成り立つ。もしかすると、仲介者も母親もそれを望んでいたかもしれない。

しかし、不登校気味で文章を書くことが苦手、国語の成績も不良、であるにもかかわらず、明らかに別人が代筆したとわかる文章が突如として現れたなら、学校側の不信を買う可能性は高い。いやそれ以上に、こういった甘えた対応は決してA君のためにはならない。私が指導する以上、文章術の何たるかを欠片かけらでも会得えとくし、自信の一つも持って帰ってもらいたい。私はそこに目標を置いて2人きりの指導を始めた。