はったりを続ければ政治家は信頼を失う
だが山本氏はとにかく、こういう「王道」を嫌う。けれん味と言えば聞こえはいいが、要ははったりとごまかしだ。
「さあ、次はオレ、どこの選挙区から出ると思う?」と有権者をからかうように振る舞ったこの1カ月、もし山本氏が国会にいれば、十分な質問時間が取れなくとも、質問主意書の1本や2本書けたのではないか。昔からそうやって、多くの中小政党の議員たちが、限られた手法を駆使して懸命に国会活動をしてきた。そういう先輩たちに失礼だ。
山本氏は否定しているが、一度こんなことをやってしまえば、もし今回の参院選で当選しても、次の衆院選が近づいたらまた、参院議員のバッジを平気で捨てるのではないか、という疑いを抱かざるを得なくなる。政治家が信頼を失うとはそういうことだ。
俳優だった自分の知名度を選挙で有利に使うため、国会をないがしろにする。こんなことを簡単に認めてはいけない。山本氏は、自身が比例代表で議席を得たため、自分が辞めても繰り上げ当選によってれいわ全体の議席数は変わらないことを理由に辞職を正当化しているが、自分たちの都合で議席を好き勝手に譲り渡したりできるというのは、いささか傲慢なのではないか。
こうした姿勢は「法に触れていなければ、道義的に問題のある行動をとっても構わない」かのような振る舞いを続けてきた自民党の安倍晋三元首相と、たいして変わらないのではないかとさえ思う。
山本氏の言動から見える、他に注目を奪われたことへの鬱憤
実のところ、筆者には山本氏が、一衆院議員としての立場に「飽きた」ようにしか見えない。
俗に「れいわ旋風」と呼ばれた2019年の参院選の直後は、重度障害を持つ2人の議員の当選によって、参院に車いす用のスロープが取り付けられるなどバリアフリーが進むさまが大きく報じられた。「れいわの『躍進』によって国会が変わる」さまが可視化されたとも言えた。
しかし、この参院選で落選した山本氏が衆院選の比例代表で当選し、2年ぶりに国政に復帰しても、もう世の中は大きな反応を示さなかった。政界の話題の中心は「『躍進』したとされた」日本維新の会。れいわは「帰ってきた山本氏が国会の風景を変えた!」という華々しい絵柄を作ることができなかった。辞職会見での「予算委に席を持てない」発言は、まさに「スポットライトが自分に当たらない」ことへの鬱憤に聞こえた。