れいわの実績は「旋風」などではない
筆者はいまだに、れいわがここまでもてはやされた理由が分からずにいる。
あの「旋風」と呼ばれた2019年参院選。確かに、重度障害を持つ2人の議員を国会に送り込んだことには、筆者も一定の意義を認める。
しかし、あの選挙でれいわが獲得したのはわずか2議席。しかも党首は落選した。いくら街頭演説やネット上で熱い声援が寄せられていたとしても、実際の選挙結果を見れば、これを「旋風」と呼ぶ気には、とてもならないはずだ。
そもそも、昭和の55年体制の時代から比例代表が存在していた参院選では、サラリーマン新党や税金党、第二院クラブといった個性的なミニ政党が、独自の活動で異彩を放っていた。過去のミニ政党との比較でも、2議席のれいわを特別視して「旋風」と呼ぶ意味が分からない。
それでもメディアは、れいわをその政党規模に見合わぬ破格の扱いで持ち上げ続けている。今回の山本氏くら替えに関する報道でも「戦略的辞職」「巧妙な演出」「奇襲作戦」「変幻自在な山本流」という言葉が、いくつも躍っていた。
こんなことがそんなに面白いか。選挙は、政治は単なるゲームでしかないのか。
山本氏を天狗にさせたメディアの罪
メディアがこぞってれいわを分不相応に持ち上げ続けたことが、結果として山本氏を勘違いさせ、こんな行動を取らせるに至ったのではないか。
山本氏の話だけではない。NHK党の立花氏の「ぶっこわーす」ポーズなど、その場限りの刹那的なパフォーマンスばかりを面白おかしく伝え続ける一方、国会質疑や与野党幹部の論争はテレビからみるみる姿を消している。国会や地域で地道に活動し、有権者の信頼を得て選挙で党勢を拡大するという「当たり前の政治」の大切さは、無残にも忘れられている。
それが国民の政治不信や無関心につながっていると、筆者は考えざるを得ない。
筆者もつい先日までその業界に所属していた以上、こんなところで決して偉そうなことが言える立場にはない。それでもそろそろ誰かが言わなければならない。
「まっとうな政治報道」を取り戻そう。