武田氏のみならず関東に覇を唱えた北条氏も含めて、東国大名は玉の原料である鉛の入手に手を焼いた。領国内に鉱山が乏しく、多くを外国産に依存しており、畿内を制圧した織豊政権がそれを獲得するのが有利だったのに対して、東国の戦国大名は鉛の調達に奔走していたのであった。

不足を補う代替品として、武田氏は悪銭を、北条氏は梵鐘ぼんしょうの供出を領内から求め、それらをつぶして製造している。つまり、彼らは、銅玉や鉄玉を使用したのであるが、鉛玉と比較すると高価な割に破壊力は弱かった。

そもそも、鉄炮玉に鉛が使用されるメリットは三つあり、一つは安価で比重が大きいことにある。鉛は、地球上にある金属のなかでもトップレベルで比重が大きい物質で、密度は一一・三四、ちなみに銅は八・九六、鉄は七・八七である。火薬の爆発速度の上限が決まっているうえ、空気抵抗は速度が上昇すると増大するため、軽い玉を速く撃ち出しても失速して威力を失ってしまう。そのため玉は比重が大きいことが重要といわれるから、鉛玉が有利なことは明白である。

鉛玉が戦国大名の命運を分けた

次にあげられるメリットは、鉛の柔らかさだ。着弾した際、弾頭がキノコの傘のような形になることをマッシュルーミングとよんでいるが、そのような形で潰れることで、敵兵に大きなダメージを与えた。

藤田達生『戦国日本の軍事革命』(中公新書)

最後のメリットとしては、融点が低いため兵士自らが鉄炮の口径に応じて簡単に大量に製造できたことである。戦場にインゴット(鋳塊ちゅうかい)のまま持ち運び、必要に応じて鋳型を用いてつくることができた。これに対して鉄や銅は専門の鍛冶を必要とするから、あらかじめ口径に応じて製作し、戦場に持ち運ばねばならなかった。

また、鉄炮は何度も続けて発射すると、カルカ(鉄炮に附属し、銃身の掃除や筒口から銃身に弾丸を込めたりするのに用いる棒)で掃除をしても火薬の焼けかすが筒の内部に付着することから、口径の小さな玉を使用せざるをえなかった。その場合も、自由に製造できる鉛玉のほうが対応しやすかったのである。

たとえば、北条氏の山中城跡(静岡県三島市)や八王子城跡(東京都八王子市)から出土した鉄砲玉は、銅玉や鉄玉が圧倒的に多いという報告がある。その場で製造でき殺傷能力の高い鉛玉を大量に持ち込んだ豊臣方と、価格が高くあらかじめ製造しておかねばならず、しかも鉛玉よりも飛距離が短く殺傷能力が低い銅玉・鉄玉に頼らざるをえなかった北条方との戦力差は、戦前から明白だったのではあるまいか。

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