同調圧力を強化する学校の“祭り”

学校という「世間」には、集団として盛り上がる“祭り”が用意されていると聞きました。中学校だと、例えば合唱コンクール、体育祭、高校受験という学力オリンピック。これら祭りの根底にあるのは競争ですが、調和、協力という「世間のルール」的要素も含まれています。

合唱コンクールも体育祭も、近づくと熱気に包まれていきます。生徒たちは授業の合間を縫って合唱のパートごとに練習する。放課後も熱心にやる生徒もいる。みんなでがんばっているのに、一人だけ練習をサボる生徒はみんなから責められる。

体育祭なら、綱引きや玉転がしなどクラス対抗の団体競技などがあります。クラス対抗となると俄然がぜんヒートアップします。興奮して負けると泣いたりする生徒が出てきたり。これらは一致団結してことに当たることが求められるわけで、調和、協力という側面もありますが、「世間」の同調圧力のもととなるものが勝利の決め手になる、という見方もできます。

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受験は個人戦ですが、校長先生は「一人で孤独に闘っていると思わないでください。みんなで闘っている団体戦なのだ」などと、ちょっと無理のある応援をしたりする。

「自分が受かってしまったらそれでいいのではなくて、みんなが自分の希望するところに入れるように、最後まで応援しましょう」といったりするそうです。

学校のカリキュラムが、子どもたちに「世間教」の教えを植えつけている面もあるのです。

国連の再三の勧告を無視し続ける日本

日本の学校には、先のようなブラック校則の問題がありますが、これで私が思う1番の問題は、学校の先生のアタマに、「子どもの権利条約」のことが全然ないことです。

この条約は子どもの基本的人権を保障するために定められたもので、国際人権規約によって大人に保障された人権のうち、選挙権を除くすべての人権を子どもにも保障しようとしています。日本は1994年にこの条約の批准はしています。

子どもの権利条約について、国連から、国内法の整備を進めなさいと、何回も勧告されています。ところが日本はほとんどやっていない。

包括的な基本法などの、子どもの権利を守る法律をつくっていません。そのためか、子どもには各種の権利があるということが、わかっていないのです。

例えば、条約の15条に「結社・集会の自由」という項目があります。そこにはこう書いてある。「締約国は、子どもの結社の自由および平和的な集会の自由への権利を認める」

18歳未満の子どもにも、自分に関することについて自由に意見をいったり、団体をつくったりする自由がある。集会の自由や結社の自由は、条約で要求されたものすごく重要な権利なのです。