高学歴・高所得親の会話によく登場する2つの言葉

このような親の思考力の差は、親が子にかける言葉や親子の会話、あるいは会話のテーマそのものといった日常生活の中での言語体験に大きな違いをもたらします。

高学歴・高所得親の会話の中には「たとえば」と「つまり」という言葉がよく出てきます。

「たとえば」を使う人は、物事を具体化して置き換えて説明できる能力があるということですし、「つまり」は要約して物事の本質を捉えるからこそ使える言葉です。

また、医者や弁護士の知人は、子どもと一緒にリビングで勉強しているそうです。親は専門書や論文などを読み、子は学校の勉強をする。

そうした家庭では子はよく親に質問し、親も子によく質問するようです。学校では質問(疑問を含む)は忌避されやすいですが、知的好奇心も探求心もまずは「なんでだろう?」「どうなっているのだろう?」という質問のはず。

学校では歓迎されない批判的思考を家庭で補っているのだと思います。かといって親は簡単には答えを与えず、「どう思う?」と子に考えさせるようにしているようです。

こうしたことを含みつつ、高学歴親の会話は論理的で、子は10年以上もその会話に接しますから、子も親の論理的な思考パターンを引き継ぐのでしょう。

放任型の家庭で子どもは伸びる

一方、親が低学歴であっても子が高学歴になるケースでは、家庭環境はどうだったのか。

高学歴な子が育った家庭では、子に親の考えや価値観を押しつけたりせず、親は子の意志や判断を尊重し、子を信頼し任せる傾向があります。

親による押し付けや理不尽なルールは存在せず、家庭はほぼ「自由」かつ「放任」です。放任というのは無視とか放置ではなく、「好きなことをやりなさい」という没頭や探求(つまり本人が選んだことに集中して取り組むこと)への尊重です。

そうした親の考えは柔軟で、学校の成績が悪くても何かで失敗しても叱ることなく、子の挑戦を称え、好奇心を抑え込まないのです。