社会全体が貧しい時代に感じたこと

私が生きた時代の中で、誰もが影響を受けた大きな出来事と言えば、まず太平洋戦争の敗戦です。小学校4年生の時でした。少し年上の人たちは、男性の場合戦地で戦ったわけですし、女性も銃後を守れと言われ、自分を犠牲にして暮らしていました。母は、愚痴を言わない前向きの人でしたが、「もしもう一度戦争が起きたら、もう嫌、死んだ方がましよ」と言うのを聞いてどきりとしたことを思い出します。子どもには辛いところをなるべく見せないようにしてくれていましたが、箪笥たんすの中の着物が次々お米に換わっていったのは覚えています。

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中学生の頃までは、社会全体が貧しい時代でした。食べ物も、グルメなどという言葉はなく、いわゆる普通の家庭料理を楽しめることが幸せだったのです。ぜいたくなものであったはずはありませんが、母のつくってくれるカレーライスやコロッケの味は、今もとても美味しかった記憶として残っています。子どもの頃、今日はコロッケという日はお肉屋さんへ行くのが私の役目でした。当時は目の前でミンチをつくってくれます。お肉屋のおじさんも今日の我が家の献立をお見通しで、ニコニコしながら竹の皮に包んだ挽肉を渡してくれます。東京の街も和やかな人間味のある場でした。しかも、これからは平和で、皆で豊かなよい社会をつくっていけるのだという明るい気持ちでしたから、やはりよい時代だったと思うのです。

物が豊富=幸せとは限らない

高校、大学と進むにつれて少しずつ豊かになり、これはすばらしいと喜んでいましたが、その後、物が豊富になれば皆が幸せな社会になるというわけではないことがわかり悩むことになりました。細かいことはとばしますが、なんでも競争になって、勝つことだけが高く評価され、しかもそこで幅を利かせるのがお金という社会になってきたのですから、私にはまったく合わない時代への変化です。そろそろ次の世代に社会を渡そうとする頃になって、こんな社会をつくりたくて生きてきたんじゃないのにという状態になってしまい、今とても悩んでいます。