盛っていると本当の自分は成長しない

「盛る」ことには遊びの要素もあって楽しいのでしょうが、それが日常になってしまえば、ある意味怖いことです。なぜなら、「盛る」ことを続けていると、「ありのままの自分」がいつまでたっても成長しないからです。

枡野俊明『やめる練習』(プレジデント社)

よく「等身大の自分」といういい方をしますが、人は等身大の自分を自覚して生きてこそ、人間関係からのさまざまな学びを得ます。自分を盛ってしまうクセがつくと、そのうち自分でも実際の姿と盛った姿の区別がつかなくなってしまうかもしれません。厳しいいい方をすれば「偽りの人生」になってしまいます。

そもそも「盛る」のは、自分に自信がないからです。だから背伸びをして格好をつけるのです。そんなことにエネルギーを注ぐのは、虚しい努力でしかありません。

「盛る」ことは一時の自己満足にはなるかもしれませんが、傍からは「盛る」姿勢が透けて見えて失笑の対象にならないとも限りません。

飾りを取り払う勇気

自分を盛るクセがある人は、まず己の小ささを自覚するといいのです。そのとき格好悪いことをしていたなと感じれば、今度は自分の内側を磨くことに目を向け始めます。ありのままの自分を磨く努力は、「盛る」努力とは違ってちゃんと見返りがあります。

明歴々露堂々めいれきれきろどうどうという禅語があります。すべてが隠すところなく明らかに現れているという意味です。

自然はまさにそうであり、真理もまたそこにあります。人も素の自分、あるがままの姿で生きたらいいのです。

飾りをとったありのままの自分を見つめ、駄目な部分も素直にさらけ出して生きる。人は自分の未熟さを自覚することで成長していくものです。それが本当の自信にもつながり、折れることのないしなやかな強さを生み出すのです。