小学生で介助を始める

佐田さんは小学校に入学し、友だちが増えるにつれて、兄に障害があることを意識するようになっていた。

「私の場合は、自分が生まれた時から家に障害児の兄がいたので、みんなに両親がいるのが当たり前のように、みんなの家にも障害児がいるものだと不思議と思い込んでいました。でも徐々に、違うことに気付いていきました」

小学生になって間もなく、佐田さんは自ら進んで兄の食事介助を買って出た。母親が忙しそうなときや、外食に出かけたときに、兄が食事の途中で時間を持て余さないように、母親とバトンタッチをしながら介助をするようになる。

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「毎回の食事の介助全てが私の担当になったというわけではなく、あくまで母の手が離せない時のサポートだったので、介助自体を負担に思ったことはありませんでしたが、『なんで私が』という気持ちは常にありました」

うまく噛めない兄のために、大きなおかずは細かくして、スプーンで兄の口に運んだ。佐田さんは、仲の良い友だちや担任の先生には、兄の存在や障害について話していた。やがて家に友だちが遊びに来るようになったが、友だちたちは佐田さんの兄のことを目にしても、話題にすることはしなかった。

中学に上がると、勉強や部活、友だちたちとの付き合いが忙しくなり、佐田さんは家族や兄の介助から離れていく。

「異性だったこともあり、兄のトイレやお風呂の介助には関わったことはありません。その点については、両親の配慮には感謝しています」

小学生の頃までは、兄の養護学校の学校祭や発表会などのイベントを純粋に楽しめていたが、中学生になると、母親と共に兄の担当の先生や他の親御さんたちに挨拶をするなど、兄を見守る保護者のような立場に変わり、居心地が悪くなっていく。

「私の中では、養護学校のイベントは、定期的な行事として小さい頃から定着していました。退屈だと思う瞬間もありましたが、それでも、行きたくないと思ったことはありませんでした」

兄の養護学校の行事には、たいてい母親と佐田さんで参加していた。父親は兄の通院には遠方でも付き添ったが、養護学校には、「仕事が忙しい」「疲れている」などと言って、ほとんど来たことがなかった。

「“特別支援の教育の場”という本来訪れることのない場所に行き、当事者や支援者たちの様子を見られることは、私にとって視野が広がる良い経験だったと思います。私は後に教育系の大学に進学したため、授業の一環として特別支援学校を訪れる機会がありましたが、周りの同級生に比べて、とてもスムーズに適応できました」