日本「差別」を許してはいけない
翻って国内に目を向けてみましょう。福島から遠く離れている全国の読者の皆さんは、意識のどこかで福島を特別視し、放射線の問題は自分とは関係ない地域に限られた話だと思っているかもしれません。その是非はともかく、福島県に生まれ育った子どもたちが、今後の進学や就職、そして結婚において差別を受けることがないように、我々は全力をもって当たらなければなりません。
こんなことは言うまでもないことで、差別など本来あってはいけないわけですし、差別することに正当な理由は微塵もありません。それでも、あえてここで差別という言葉に触れ、問題が起こらないことを慎重に見守っていかなければならないのだと思うのです。
日本国内で福島以外から福島を見る目と、世界から日本を見る目は、相似の関係にあります。視点を移すと、海外から日本全体が、そのような特別視をされてしまう危険性が十分にあるのです。
同様に、日本に生まれ育った子どもたちが、今後グローバルに活躍の場を広げていくなかで、進学・就職や結婚の差別を受けることがあってはなりません。「そんなこと、考えすぎじゃないの?」と読者の皆さんは笑い飛ばせるでしょうか。この意味においては、まさに日本人全員が当事者であり、誰にとっても他人ごとではありません。日本のこれからのために、皆が努力を積み重ねていかなければならないのです。
いわれのない差別が、間違っても、万が一にも起こらないためにもっとも重要なのは、「発信」です。日本がいかに安全かを感情的に謳う発信ではなく、日本が放射線の問題にいかに取り組み、これからどうするのか。そしてその結果、ロジカルにどう考えるべきなのかを機会があるごとに発信するのです。
日本が海外からどう見えているかは、今後の日本のグローバルな位置を考えるうえで大変重要です。「発信」は今こそ必要で、今が「旬」なのです。この時宜を逃してはいけません。震災後1年というのは、そういう節目であると私は思います。