日本で目玉焼きは、ふつう1種類しか思いつかない。勝間さんは、ファミリーレストランのデニーズに行って、「ベースドエッグモーニング」と「サニーサイドアップモーニング」の2種類の目玉焼きがあって、両者の違いがわからなかったという。そこから興味を持って調べると、アメリカには6種類の目玉焼きがあることに驚いたそうだ。

「ベースド・エッグ」は日本で定番の、蒸し焼きの目玉焼き。「サニー・サイド・アップ」は蒸し焼きにしない方法だ。

このほかに、両面焼きで黄身を液状に仕上げる「サニー・サイド・ダウン(オーバー・イージー)」、オーバー・イージーで黄身を半熟にする「オーバー・ミディアム」、黄身もしっかり火を通す「ターン・オーバー」、ターン・オーバーより弱火でじっくり固めに焼く「オーバー・ハード」と6種類ある。アメリカで目玉焼きを頼むときは、その6種類のうちどれにするかを聞かれる。日本では、まずないことだろう。

イェール大学では文化の多様性を教える

目玉焼きで日米文化の違いを考えると、次のようなことになる。米国人は個性を重んずるので、卵の焼き方の細かなところまで各人の嗜好を尊重する。他方、日本人は「半熟がいい」といった好みがあったとしても、目玉焼きを頼むときに焼き方を指定するのは「わがまま」だと思い、我慢する。日米の文化を比較すると、米国人はわざわざ調理の方法にまで自分の意思を尊重し、人生の生きがいを自分の個性に合うように精いっぱい追求しているのが食生活から読み取れるのだ。

米国の文化がいいというつもりはなく、皆と一緒に同じことをする日本の文化は日本人の知恵であったともいえる。日本社会のルーツは農耕文化にあり、その名残が根強く残っている。農作のために灌漑や稲刈りなどを行うには、村全体が協力して行う必要がある。個人が「わがまま」を言っては、村八分の扱いを受けてしまうから、個人の考えや好みを示すことは控えるようになる。

このようなことはすでに文人哲学者だった和辻哲郎が古典『風土』で、美しい文章で記しているところである。「風土」とは、単に気候だけでなく、自然に対応した生活習慣、考え方であり、それは自分たちの置かれた自然環境にどう対応するのか、というところから生まれてくる。

和辻氏の説明によれば、地球上の地域を分類してみると、「砂漠」地域では、人類は砂漠の脅威とただ闘うことになる。日本の置かれている「モンスーン」地域では、嵐(台風)が来たときにはお互いに我慢しつつ、いつもは協力しつつ自然に順応する生活を送る。ヨーロッパは――このあたりイタリアに留学した和辻氏は多少西洋かぶれしていたようにも見えるが――「牧場」である。自然に対して人間が合理的に働きかける余地があって、ルネッサンスから近代文明が生まれ、経済発展が起こったという。