攻勢を極めるブラジリアン柔術の原点は日本にある

現在ではインターネットで技術が短期間で広がるということもあってブラジリアン柔術の寝技はさらに進化し、柔道家でも五輪代表の切符を手に入れるためにブラジリアン柔術を並行修行して寝技強化にあたっている選手は世界中にたくさんいる。

机の上で地球儀をまわしてみると、人類史において様々な文化が交易路を伝ってゆっくりと広がっていった様が眼前に浮かんでくる。

もっとも有名なのは絹を中心に中国と欧州を交易したシルクロードだが、こういった交易路はユーラシア大陸だけではなくあらゆる大陸に大小さまざま蜘蛛の巣のように自然発生していた。

写真=時事通信フォト
総合格闘技大会「REAL FIGHT CHAMPIONSHIP」の記者発表会に出席した格闘家のヒクソン・グレイシーさんと息子のクロン・グレイシーさん=2014年5月26日、東京都内

はじめ人々はそこを徒歩で移動し、次に牛馬やラクダに乗って移動した。つまりせいぜいが人間や動物が歩く速度、時速4キロ程度のスピードで技術や文化は広がった。それが千年単位で続いた。やがて大航海時代が始まると帆船によって大陸を越えて伝播するようになってくる。

そして動力が蒸気機関に替わるや、さらにダイナミックに広がっていく。ちょうどそのころ鎖国を解いた日本から様々な文化が海を渡り西洋で「ジャポニスム」という大ムーヴメントを起こした。絵画だけでもゴッホやドガ、クリムトやロートレックなど、錚々たる画家たちが日本の浮世絵などから大きな影響を受けた。

身近なところではルイ・ヴィトンのモノグラム柄が日本の家紋を、ダミエ柄が市松模様の影響を受けてできたものだということは有名な話である。

このジャポニスムのなかで各国で驚嘆を持たれたもののひとつが柔道(古流柔術を含む)だった。

格闘技界における3つのビッグバン

過去、人類三千年の歴史のなかで格闘技のビッグバンとなった事象が二つあった。

ヒクソン・グレイシー著『ヒクソン・グレイシー自伝』(棚橋志行訳、亜紀書房)

ひとつは講道館柔道の創設というビッグバン。ひとつは琉球王国における空手の誕生というビッグバン。

この二つの格闘技は様々なかたちで世界へと広がっていき、土着の格闘技を駆逐したり融合したりしてその地に根付いていく。

柔道や空手の影響なしにここまで来た格闘技はないといってもいいほどだ。それほど柔道のグラップリング技術と空手の打撃技術は海外の人たちの度肝を抜く発想に富んでいた。

しかしながら二十一世紀になった今日、格闘技の歴史を記す学者たちはこの二つの格闘技にもうひとつの格闘技を比肩させ、世界三大格闘技のビッグバンと呼ばねばならぬようになってきた。それこそがグレイシー柔術である。

地球の裏側で進化した日本の柔道

たしかに源流は早大柔道部出身の前田光世が伝えた講道館柔道であった。しかし、偉大なる男によって、地球の裏側で寝技中心の実戦的技術体系を持つグレイシー柔術へと進化した。偉大なる男とはもちろんヒクソンの父エリオ・グレイシーである。

現在ではそのグレイシー柔術が様々な枝に分派したため、総じてブラジリアン柔術と称され、柔道や空手に負けぬ勢いで世界中に広まっている。

その歴史のなかで最強を謳われるヒクソン・グレイシーの哲学が、本書によって一人でも多くの人に理解されることを願っている。

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