長く使われる建物とあっという間に朽ち果てる建物の違いは何か。そのひとつは「レガシーになれるかどうか」だという。国際日本文化研究センター所長の井上章一さんと建築家の青木淳さんの対談をお届けしよう――。

※本稿は、井上章一・青木淳『イケズな東京 150年の良い遺産、ダメな遺産』(中公新書ラクレ)の一部を再編集したものです。

北京の「鳥の巣」として知られる国家体育場
写真=AFP/時事通信フォト
2008年8月2日、北京のオリンピック公園内にある「鳥の巣」として知られる国家体育場。

新国立競技場の「ザハ案」には住民投票が必要だった

――1964年の東京オリンピックのレガシーについての議論がありましたが、2020年大会はいかがでしょうか? 新国立競技場の建設では、ザハ・ハディドの案が撤回されるなど、いろんないきさつがありましたけれども、どのようにご覧になっていましたか。

【青木】ザハ・ハディドの案はコンペで選ばれたものですが、そのコンペの開催はそもそも、東京にオリンピックを誘致するためのアピール力のある案が欲しかったからでした。ザハ案は、その点では圧倒的に優れていました。宣伝材料を選んだまでと言えばそれまでですが、選んだ以上は、首相の一存などでは撤回すべきではなかったと思います。

ただ、ザハ案は今の街の成り立ちを暴力的と言っていいくらいに大きく変えるものでした。それに、それをオリンピック後にも維持していくだけのお金が用意できるのか、という都民全体に関わる問題もありました。だからこの問題についてまき文彦ふみひこ(1928年~。代表作に幕張メッセなど)さんが書かれた最初の提案通り、住民投票によってコンセンサスを取る必要があったと思います。その上で実現したら、良し悪しは置いておくとして、レガシーになったでしょうね。

ずっと使われていた結果が「レガシー」になる

【青木】しかしザハ案が破棄され、くま研吾けんご(1954年~)さんのデザインでできあがった新国立競技場(図版1参照)は無難な建築で、これだったら前の国立競技場を建て替える必要があったのかなと思います。結局、今回のオリンピックでは、街を改造して新しいレガシーを生み出すことも、この機会を利用して先輩たちから引き継いだレガシーを次世代につなぐこともできなかったのではないでしょうか。

新国立競技場
写真=iStock.com/Tom-Kichi
【図版1】新国立競技場

【井上】1970年の大阪万博で「太陽の塔」(図版2参照)がレガシーになると、当時は誰も思っていなかったでしょう。しかし結局、会場跡地を見たときに付近の人が一番愛したのは、岡本おかもと太郎たろうのモニュメントだった。

【青木】本当にそうですね。

【井上】何がレガシーになるかというのは、時間が経ってみないとわからないんじゃないでしょうか。

【青木】要らないから壊すというふうにはならず、ずっと使われていた結果がレガシーということですね。

【井上】代々木競技場の第一体育館は、もともと競泳用の施設でした。あと、飛び板飛び込みかな。あそこで、飛び込み台へ上がった選手は、高揚感におそわれたことでしょう。でも、もうプールではなくなっています。当初の目的は消えてしまいました。飛び込み台へ上がって、あの空間を体感することも、今はできません。でもあの空間は捨てるにしのびない、と各方面で思われたんでしょう。今でもバレーボールやバスケ、コンサートなどのイベントで使われていますね。