武道館はビートルズによって「ミュージシャンの聖地」になった

【井上】はい。これも別の話ですけど、武道館(図版3参照)はもちろん武道でも使われると思います。だけど、1966年にビートルズがコンサートを開いたことによって、ミュージシャンの聖地になっていきました。後世の人がどういう使い方をするかによって、建築は生き残り方が違ってくる。これは当初設計に関わった建築家がどうこうできる問題じゃないと思います。

日本武道館
写真=iStock.com/winhorse
【図版3】日本武道館

【青木】たしかに。しかしモダニズムの建築には、機能主義という大きい考えがあるわけですよね。つまり、何のためにつくるのかというときの「何のため」というところが非常に重要でした。だから、明確に目的が決まってつくられているから、目的が変わってしまうと使えなくなってしまう。

でも、もっと昔の建築は、「何のため」の「何」にあまり厳密には対応していない。たとえば教会建築は、この宗教のこの儀式のためにとデザインはされているけれども、基本はもっと漠然と、非日常的で厳かな空間という程度のコンセプトでつくられていたように思えます。そのほうが、違う用途としても使える可能性が高い。

「使い勝手が良い建物」が残るわけではない

【井上】建築は大きな予算を伴う仕事なので、合理的な説明が求められます。なぜ、この形が導きだされるのか。その点についてクライアントを説得しなければなりません。いまでも「これこれ、こういう用途に役立ちます」という説明をしないと、案が通りにくいのではないでしょうか。

【青木】でも、それは「方便」というものでしょう。

【井上】方便ですよね。じっさい、後世に残る建物は、使い勝手の良さという当初の方便が評価されて延命していくわけじゃありません。そういう用途をこえて、生き残るわけです。結局、理由はわからないけれども、周りに愛された建物が残るとしか言いようがありません。

【青木】そして、地球環境の危機を考えるなら、スクラップ・アンド・ビルドではなく、結果的に長く愛されて使い回されていく建築のほうがいいということもあります。

【井上】ただ難しいのは、結局は愛される建物が残るんだということに開き直って、「愛されよう、愛されよう」という設計の姿勢には、ちょっとあざといものを感じて……。

【青木】愛されようと思って愛されるほど、物事は簡単じゃありませんよね。