我慢強さもゲノムの影響が強い
また、暗記力以外の重い要素である「我慢強さ」もゲノム(遺伝子情報)の影響が強い。
京都大学のビッグデータ医科学分野の西垣昌和特定教授は、その影響を次のように指摘している。少し長いが重要な提言なので、引用させていただく。
ゲノムがもたらす多様性(variation)は、社会学的な多様性(diversity)とは異なり、生物としての「形質」の違いを意味する。形質とは、肌の色、髪の毛の性状、身長の高低、といったような人間の特徴そのものであり、その中には、「疾患Aへのかかりやすさ」「症状Bのおこしやすさ」といったような疾患・症状に関する形質や、「薬剤Cの効きやすさ」「副作用Dのおこりやすさ」といった薬剤応答性に関する形質も存在する。
すなわち、ゲノムは、人体に生じる様々な現象の内的要因であることはもちろん、外的要因への反応の多様性に関連している。臨床においては、「同じ手術でも疼痛の訴えが多い人とそうでない人がいる」「Aさんは温罨法が、Bさんは冷罨法がより安楽だという」といったような、個人による反応の差異を経験する。このような個人差は、「個別性」として一括りにされがちで、場合によっては「我慢強さ」や「好み」といった曖昧な言葉で片づけられることがなかっただろうか。
もし、これらの反応の個人差に、ゲノムが関わっているとしたらどうだろう。ゲノム情報をもとに、その人の反応を予測できれば、その人に適した医療・看護を、問題が生じる前に提供できる。それこそが、ヒトゲノム計画により現実のものとなってきたPrecision Medicine(精密医療)である(※2)。
根性論に基づいた指導は減らすべきではないか
もし、西垣教授の見立てが正しいのであれば、我々教師や保護者が「あの子は我慢強い」と粗雑な評価を下していたものが、ゲノムによって関連付けられた反応だということになり、根性論に基づいた指導というものを減らすべきとの結論にならないだろうか。
もちろん、社会性を身に付けるためのマナーや基礎基本の学習のための指導は必要であろうし、子供の側の我慢も必要であろう。ただ、生まれつき我慢強く待てたり努力できたりする子と、そうではない子がいると認識することから始め、担当する生徒がどのような性向を持っているかを見極めなければ、教育がただの恐怖政治に堕するというのは言い過ぎだろうか。
こうした考察もせず、ただ怒鳴り散らす教員を多く目にしてきた私としては、こういう思いが強い。特に現場にいると、学校型の努力や我慢ができない子供を持つ保護者のなかに、真摯に自分を責める方に会うのだが、その度にこう思う。
家庭の中まで見たわけではないから一概に断じることは難しいが、両親が同じ兄弟姉妹でも、性格や能力が全く違うケースは多々ある。
※1塚野弘明「社会的に組織化された『暗記力』」(2003)
※2西垣昌和「ゲノム解析技術がもたらした保健医療の変革―ゲノム看護学の始まり―」(2019)