上位40%の生徒は時間を持て余している

私は重度知的障害や知的障害、盲聾もうろうの児童生徒のことを言っているのではない。普通学級に座っている生徒のなかに10%前後、このような特性のある生徒がいるのである。この生徒らを落ちこぼれにしないよう奮闘しているのが、小中学校教師の主たる教科指導業務となっているのが現状で、そのレベルの子から平均的なレベルの子にターゲティングして授業が作られていることが多いように感じる。

つまり、上位40%程度の児童・生徒はこの時点で、時間を持て余していると言えよう。もちろん、優秀な生徒を「ミニ先生」として指導役や丸付け係として使うなどの工夫をしている先生方もいるのだが、できる子ほど、得られるはずの利益が薄くなっているのが実情だろう。「教えられること」が本当の理解だとか「協調性が身に付く」といった体のいい言い訳をしても、できる子が支払っている学費や平等なサービスの享受という観点からは、不平等な状況と言わざるを得ない。

中学生の英語の問題を解く
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前回の授業内容をすっかり忘れてしまう子たち

次に彼らに対して、文字や記号の意味、計算操作の方法を覚えてもらう段階に入っていく。暗記力の弱い生徒はここでつまずく。前回の授業で取り上げたこともすっかり忘れている。また前回と似たような説明を繰り返し、少し先に進んで授業時間が終わるといった光景もよく目にした。

一方、成績優秀な生徒の集まる学校や塾ではこのようなことは起こり難い。前回の授業でやったことを忘れていたとしたら、忘れた者が悪いのである。また、カリキュラムの進度計画もきっちりしているので、停滞することはできないのだ。

他方、進度の速い学校はどうか。関西の名門・灘中学校では中学3年生終了時には高校3年生の範囲まで終わっている科目があると聞く。ここまで速くなくとも、一流進学校では、大抵、高校2年生までに高校3年生の範囲が終わっているものだ。大多数の一般的な学校との差は永遠に埋まりそうもない。

文科省の目標は現場とかけ離れすぎている

このような状況を把握していながら、文部科学省は、「自ら考え、判断し、表現することにより、さまざまな問題に積極的に対応し、解決する」ことまでを目標とする。理想はわかる。皆がそうなれば夢のような国ができあがるだろう。だが、大多数の児童・生徒はそのレベルにない。同省の目標は灘やそれ相応のレベルの生徒に適合するものではなかろうか。

つまり、“勉強”を定義しようとしたとき、いきなり困難な状況が発生しているのだ。同じクラス内に、認知できるようになることを目指す子と、暗記できるようになることを目指す子と、考え判断できるようになることを目指す子がいるのである。それぞれが無駄なく効果的な学習ができるとは考え難い。

元来、知識の効率的な吸収や学力の向上は、学習者が一人で、かつ最適な方法によって達成されるものだろう。自分と大きく乖離した知能・知識量を持つクラスメイトと相乗効果を生み出すのは至難である。