さらに、これからシンギュラリティ時代が到来し、AIの自動診断が当たり前になれば、医者の価値と役割はますます変化していく。余人を持って代えがたい手術などの技量を持った医者の価値は、世界が直接評価するようになるだろう。医者だけでなく、国家試験がある弁護士、公認会計士、税理士などの「士業」も同様に、20年後には業界内で格差が拡大する運命なのだ。

従って、もはや医者は“安定かつ高収入”を目当てに群がる職業ではない、と認識を改めたほうがいい。それにもかかわらず医者になろうとする人は、「病人を救いたい」とか「社会に貢献したい」、という人徳が高い人だろう。むしろカネではなく尊敬を受ける対象、という認識が必要だ。

共通テストは即刻廃止したほうがいい

最後に、偏差値偏重が続く原因は、大学側にもある。大学入試共通テストで学生を選ぶことも問題の1つだ。共通テストは即刻廃止したほうがいい。

各大学は「本校ではこういう学生を求めます」と要求するスペックをはっきり示したほうがいい。入試方法や入試問題は、公示したスペックに適したものを独自に設ける。

受験者は受験する大学を偏差値で判断するのでなく、各大学が求めるスペックや入試方法から志望校を決める。大学が個性を出せば、画一的な共通の試験を受ける必要はなくなる。

そういうと「公平性をどう確保するのか」といった批判があるだろう。しかし、世界の大学を調べても、「公平な入試」をうたっているところは見たことがない。

私は博士号を取得したマサチューセッツ工科大学(MIT)で、5年間社外取締役をやったことがある。もし有名工科大学で公平な入試を実施したら、合格者は優秀なインド人ばかりになってしまう。実際にそうならず、学生の多様性が考慮されるのは、公平な入試ではないからだ。それでも不満は聞かないし、MITはどういう人材を採りたいかを明確にしているから、いまも世界中から学生が殺到している。

シンギュラリティが20年後に迫っていることを考えると、(その頃ちょうど活躍するいまの)学生が何を目指すべきか、どういう能力に磨きをかけるべきか、もっと広範な社会的議論が必要だ。日本の大学も、「東大が偏差値1位、京大が2位」という考えから脱却しなければならない。「スタンフォード大学といえば起業、インド工科大学といえばエンジニア」といったように、求める学生のスペックを明らかにして個性ある大学を目指す。問題だらけの偏差値教育と共通テストを打破するのに、重要なポイントだ。

(構成=伊田欣司 写真=時事通信フォト)
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