今やあらゆる番組が「ワイドショー化」
むしろ、低コストで高視聴率を実現するワイドショーの手法は、他のカテゴリーの番組制作者にとってもますます不可欠なものになっている。
1970年代半ば以降、報道番組はアナウンサーが原稿を読む時代からキャスターが視聴者に語りかける時代へ、わかりやすさと親しみやすさを追求していった。わかりやすさと親しみやすさを高めるには、感情的で深く考えることを嫌う視聴者層に擦り寄らなければならない。その結果、元の数字と比べて不自然な強調を用いたグラフ、論理の流れがおかしいフリップ、印象操作が甚だしいVTR映像が、ワイドショーだけでなく報道番組にも見られるようになった。「こうしないとわかりにくいし伝わらない」というのが、制作側の決まり文句だ。
音響効果や音楽の多用、保育園のようなカラフルなスタジオセット、やたらと挟み込まれるクイズ形式の演出も、いまやあらゆる番組に浸潤したワイドショー的演出だ。硬派の討論番組を名乗る「朝まで生テレビ!」もまた、出演者の文化人がそれぞれの役割を演じながら、挑発や嘲笑をぶつけ合って視聴者の感情を煽る見せ物小屋と言ってよい(かつて大島渚が「バカヤロウ」と怒鳴る瞬間が番組の名物だったことからも、この構造ははっきりしている)。
「感情でものを考える人をバカって言うんだ。最近は番組そのものがそうなっている。テレビの先はもう長くない」と、前述のベテラン放送作家は筆者に語っていた。総ワイドショー化に突き進む地上波テレビは、彼が予言した通りの滅びの道をたどるのだろうか。