放送内容の偏りなどからたびたび批判を受けながらも、テレビ局は「ワイドショー」の放送を続けている。なぜやめられないのか。著述家のKヒロさんは「制作陣が『視聴者は喜怒哀楽を提供するとよろこぶ』という固定観念から抜け出せていない。その結果、若者のテレビ離れが進んでいるのだろう」という――。
古いテレビ
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視聴率不毛地帯の救世主として60年前に登場

コロナ禍のなかで多大な迷惑を振りまいたものの一つが、視聴者の不安をあおり立てたテレビのワイドショーだ。コメンテーターが振りまく怪しい医療情報や感情的な意見に惑わされた人々は、コロナ対応の第一線で働く医療関係者や保健所スタッフの頭痛の種になった。

迷惑をこうむったのは医療関係者だけではない。筆者の身近にも、あるワイドショーの名前を挙げて「ワクチンで死にたくない」と言い張る老人に正しい情報を伝えるため、大変な労力を要したケースがある。ネットニュースで報じられたワイドショーの報道ぶりにも、非難のコメントが集まった。

とはいえ、ワイドショーが迷惑を振りまくのはいまに始まった話ではない。興味本位のスキャンダリズム、もっともらしいが不正確な見解を垂れ流す「コメンテーター」たちの影響力。「やらせ」という業界用語が一般社会で使われるきっかけとなった事件も、ワイドショーが引き起こしたものだった。

こんな困り者なのに、現在ワイドショーは週20番組以上も放送されている。しかも約60年前からずっとこの調子だ。

ワイドショーはわが国独自のカテゴリーで、1964年に日本教育テレビ(現テレビ朝日)が放送を開始した「木島則夫モーニングショー」が始まりとされている。同局は視聴率低迷とスポンサーの獲得に苦慮し続けていたが、なかでも不毛地帯と呼ばれていた朝8:30から9:30の枠に、芸能の話題やニュースなど雑多な情報を伝える低予算番組を放送することにした。それまで視聴率ほぼ0%だったこの時間枠を使ったショー番組は予想以上に好評で、放送開始直後から視聴率3%、後には15%にまで達し、不毛地帯は金のなる木に変わった。

翌1965年、日本教育テレビは同じく視聴率が壊滅的だった正午枠で「アフタヌーンショー」を放送すると、これもヒット。他局も視聴率が取れない時間帯にワイドショーを続々と放送し、乱立時代に突入する。視聴率獲得のポイントはキャラ立ちした司会者の登用で、司会者の個性や話芸で見る者を飽きさせない工夫をした。