子どもが思春期に突然暴れだすのはなぜか
こんな「まったく手のかからない子でした」というような子が、思春期になると手首切りから首吊りまでやってみせて大暴れする「自己愛性憤怒」という大爆発をすることがあります。というかそういう例が異常なほど多い。乳児期に一番大切な自己主張ができていないためです。「お腹すいたー!」とギャーギャー泣いて怒るという自己主張をやっておかなかったツケで、成長して言葉を持ってから爆発的に自己主張をして「毒親(悪いおっぱい)」を攻撃してしまうのです。
いずれにしても、子どもは少し成長すると、親の言うことを聞かなくなるのが普通です。喜ぶだろうと親が注文してくれたお子さまランチを見て癇癪を起こしたり、「さわっちゃダメよ」と言っておいたものに限って親の目を盗んでいじって壊したり。
また、自分も大人になりたい、ひとつ上の段階へ進みたいという要求(親をモデルにした理想的な自己に達したいという要求)も出てきます。だから、ひとりで階段を上りたがって、「危ない」と親が手を貸そうとすると、その手を振り払って暴れたりする。
自分の能力を試したい、ちゃんとやれることを示したいのです。こんなとき、「あらあら、つい最近まで赤ちゃんだと思っていたのに」と我が子の成長をほほえましく思うのは、まぁまぁ普通の親でしょう。
叱り、叱られを繰り返していくのが普通の親子
しかし、子どもは、まだ大人と同じようには行動できません。「こぼすよ、こぼすよ」と心配する親の手を振り払って運ぼうとしたみそ汁をぶちまけてしまい、イライラした親に「だから言ったでしょ!」と怒られる。これも普通の親子の姿。どこの家庭でもよくある光景です。
こんな騒ぎを繰り返しながら、まぁまぁ普通の親は、子どもが自分の手を離れていくことを、ちょっぴり寂しく思ったりしながらも許します。子どもというのは自分の思い通りになるものではないと悟り、少しずつあきらめていくわけです。同時に、子どもが生まれたばかりの頃は「将来は宇宙飛行士かオリンピック選手に」などと楽しい夢を描きますが、成長するにつれて「そういえば、この子は私の子だった」と思い直すので無謀な夢も消えてゆき、そこそこの願いに落ち着きます。
周囲にかわいがられて健全に育つ子には、半年もすると「自己愛的自己」の中核ができてきます。自分のことをいつも見つめ、一生懸命に世話をしてくれる両親、その瞳に映る自己が「自己愛的自己」です。この自己はやがて「自己の歴史」を肯定的に語れるようになりますが、この頃の子どもは、「もし私がいなかったら親は生きていけるのだろうか」くらいに思っています。