ひとつの喪失が自分のひとつの層を作る
Aさんは何かにつけてケチになり、貪欲になりました。あたかも祖母の性格の特徴のうち、最も目立っていたところを引き継いだかのように。窃盗癖という貪欲さは、このときには表れませんでしたが、代わりに表れたのは“貪食”でした。この時期からセラピーが効果を上げるまでの間、彼女は過食と自己誘発性嘔吐のサイクルから1日として抜け出すことができなくなります。
当時、Aさんは自分の変化や理由に気がつきませんでした。彼女が私のセラピー(精神療法)を受けるようになってしばらくして、私に過食症の発生と祖母の死との前後関係を問われたときになって、ようやく思い至ったのです。
愛着対象の喪失(死亡、離別)の際に、失った対象の特徴の一部(部分対象)が、喪失を悲しむ人に取り入れられることについては、フロイトが指摘しています(人文書院版著作集6『悲哀とメランコリー』)。フロイトは、こうした部分対象の取り入れの連続が、私たちの人格特徴を作るとまで言っています。ひとつの喪失がひとつの層を作ると考えると、私たちの心は取り入れた無数の層からなるタマネギのようなものだということです。
母の期待するよい子になれなかった罪悪感
フロイトが言及したのは、愛する者の死による部分対象の取り入れでしたが、Aさんの場合は憎しみの対象の取り入れでした。愛も憎しみも“人の心が占拠される”という意味で同じような作用をすると私は思っています。
窃盗癖が見つかって失業してからのAさんは、過食症の悪化もあって、自尊心はズタズタ。祖母の特徴を取り入れて以来、母親と会うのを避けるようになっていたので、実家には帰れません。それでアパート代や生活費を稼ぐために、いくつかの職場にパートとして勤めていましたが、かつてのエリートのイメージからはほど遠い状態でした。
あるとき、私はAさんに「自罰感情」について考えることが回復のヒントになると言いました。祖母が健在だった頃、彼女は母を救えない自分を呪い、せめて母の期待するようなよい子になろうと“勉強少女”の道を歩みました。ずいぶん努力したでしょうが、これには100%というゴールはないから、どうしても罪悪感を背負うことになります。