全国8つの工場に飛び立った90人へ工場長の「復興だより」

現実として、加賀美には大変な作業が待っていた。最盛期である夏場に、主力工場が停止してしまうのである。福島を除く、北海道から博多までの全国8工場が増産体制を敷き、福島の14%分を補っていく。

福島工場のアサヒ社員160人のうち、約90人を8工場に送らなければならない。誰をどこに送るのか、加賀美は早急に決めていく必要に迫られた。期間は2、3カ月から長いケースでは3年間と、幅があった。「期限付き転勤」とも言われたが、「親御さんの介護をしている社員などは、外さざるをえなかった」。

「明日、発ちます」「そうか、頑張ってきてくれ。どこに行っても、福島工場の誇りを忘れないでほしい。俺たちはチーム福島だ。最高レベルの能力を持っている」。別れの儀式は相次ぎ、90人は6月中に全国へ飛び立っていった。

9カ月の休止期間を経てラインが動き出した。

福島工場に、静かな夏が訪れた。「夏に止まっているビール工場を、初めて体験しました。経営が厳しかった頃でさえ、夏には工場は動いていたのに。やたらと、蝉の声が大きかった」。

田中は言った。「例えば数字。数だけならばそれはデータです。しかし、心を込めれば、数字は情報になります」

「その通りだ。みんなの心に福島を込めよう。やるぞ」。加賀美は「福島工場の復興だより」というメール配信を始める。8工場に飛んだ90人に向けてである。帰れるその日まで、福島工場を意識してもらう狙いだった。人の心がつながり合えば、どんな困難があっても、どれほどの時間の経過があっても、人はきっと超えられるのだから。

9月下旬、加賀美は福島県知事の佐藤雄平に電話を入れる。「10月3日から仕込み開始、11月下旬から出荷を再開します」と、伝えたのだ。

佐藤は言う。「アサヒビール福島工場は、県を代表する工場。復興は県民に活力と勇気を与える。関連する中小企業にも勢いがつく。また、食品工場という点で、原発事故に伴う風評被害の払拭につながっていくはず」。

この点に関しては、「同じ食品であっても、原発事故による実際の放射能被害に遭っている米などの農作物と、風評被害のビールのような工場製品とを、分けて考えたほうがいいのでは」(地元中小企業社長)という声もある。