「社員の安全を守っていかなければなりません。その一方で、工場も守らなければならなかった。ジレンマはありました」と話す。

福島工場は、アサヒ全体の生産量の約14%を担う主力工場。10年の生産量は、大瓶で約5億本と日本でも最大級だ。郡山市に隣接する本宮市にあり、敷地面積は約24万平方メートルに及ぶ。進出したのは72年。最初は三ツ矢サイダーを生産、ビールをつくり始めたのは79年からだった。

福島工場は、隣接するソニーのリチウムイオン電池工場(郡山市、75年に進出)と並び、地域の産業のシンボル的存在だった。また、郡山地区でのアサヒのシェアは5割を超え、圧倒的な存在感を示していた。

「それじゃあ、ライフラインからやろうか。まずは電気だな。動力がなければ何もできない」。加賀美は幹部と話し合い、自宅待機していた若い電気技術者に恐る恐る電話を入れる。

「来てくれるか?」「ハイ、すぐに行きます」。予想に反して承諾してくれた。淡々とした冷静な声で。受話器を置くと、加賀美はうれしさがこみ上げる。これが最初の一歩。電気をはじめ、給水や排水など基本インフラの設備技術者が10人ほど集まってくれ、壊れたインフラを修理していく。

社員を自宅待機させている間、加賀美は幹部たちと復興に向けての工程表を作成する。生産再開の目標日を6月11日土曜日とした。3月末には自宅待機を解き、出社した社員たちは後片付けを開始する。