だが、集合した全員の視線は、加賀美に向けられていた。この瞬間、加賀美は覚悟を決める。「よし、全員の面倒を俺がみよう。アサヒの社員かどうかはどうでもいい。ここにいるのは、同じ福島工場に働く仲間なんだ」。

電源は喪失し、小雪が舞い始めた。全員の無事を確認できたため、午後4時過ぎには従業員を帰宅させる。再び、300人が顔を揃えたのは月曜日の14日朝。事務棟前の屋外で朝礼を行う。

「おはようございます!」

地声で加賀美が発すると、300人が一斉に一歩前に向かってくるようだった。その迫力に、加賀美は鳥肌が立つのを覚える。

無理もない。土曜日だった12日の午後3時36分、東京電力福島第一原発1号機で水素爆発が発生していたのだ。有事が加速するなかで、リーダーの言葉をみんなが待っていた。加賀美は日曜日に工場の幹部たちと決めた、復興への大まかな方針を発表する。

震災直後の福島工場。外壁が広い範囲にわたって崩れ落ちた。

「物流、ライフライン、生産の順に手をつけていく」と。具体的な中身を知り、従業員の表情にはそこはかとない安心感が漂う。何より、工場を継続させていくということを、全員が確認できたのは大きかった。

だが、予期せぬことはいつも発生する。14日午前11時過ぎ、同3号機も水素爆発を起こしてしまう。工場内の片付けを始めていた社員たちは、一様に浮き足立つ。

加賀美は従業員の安全を最優先させていた。翌15日には4号機と2号機とが相次ぎ爆発を起こす。本社とは衛星電話を使って善後策を協議していた。が、危機の渦中にない本社は、方針の決定が遅くなりがちだった。というより、福島がどうなっているのか、東京では想像できない様子だった。現場の責任者として加賀美は決断する。15日の昼をもって、社員を自宅待機とさせたのだ。