人生の線路を自分で引く力をつける球団
棚原節、炸裂である。リトルウルフが、小学校1年生で入団した時からあらゆることを自分でやるように教えるのは、自分の人生の線路を自分で引く力を養うためなのだ。
最高のロールモデルがいる。棚原さんの四男の勲さんである。勲さんは、幼稚園の頃から編み物が好きで、かぎ針と毛糸さえ与えておけば、みかん箱の中にこもって何時間でも編み続けるという面白い子だった。
「私はね、この子はいろうたら(いじったら)アカンって、小さい頃に見破ったんです。他の子と同じように野球をやらしたりしたら、この子の持ってるものを潰してしまうって」
棚原さんは、手先が異様に器用だった勲さんに建築学科のある高校への進学を勧めた。そこでトップの成績を取った勲さんは、推薦で近畿大学の建築科に入学する。卒業して建設会社に就職したものの、やがて「人が物を作るのを見てても面白くない。自分の手でものが作りたい」とこぼすようになった。
息子がカバンひとつ持って渡英、まったく不安がなかった
「そんなら自分のやりたいことをやったらどうや、母ちゃんが精一杯支援したるでって言ったら、なんとイギリスに行きたいと言うんです。そんでカバンひとつ持って、本当にイギリスに渡ってしまったんです」
英語がまったくできなかった勲さんは1年間語学学校に通い、3年間専門学校に通って最優秀の成績を収めると、手作り家具の本場英国で家具師になってしまった。
「うちの5人の子どもたちには、小さい時から炊事、掃除、洗濯、全部自分でやらせてきました。だから、勲がイギリスに行きたいと言い出したとき、この子はどこに行っても1人で生きていける子や、だから何の心配もいらんと思えたんです」
棚原さんのスマホには、イサオさんが作り上げた見事な家具の写真が何枚も保存されていた。(後編につづく)
山田西リトルウルフ
1940年、大阪府生まれ。ソフトボール選手として実業団でプレーした後、72年に吹田市で夫と少年野球チーム「山田西リトルウルフ」を立ち上げる。以来、「おばちゃん」としてチームを率い、2016年には全国大会に出場。現在も自らノックバット片手にグラウンドを駆け回る。その独特の指導哲学とお金をかけない運営方針が評判を呼び、メンバーは最盛期で約200名、現在も約140名と大盛況。チームOBにT-岡田(オリックス)。電子レンジをフル活用した料理研究家としての顔も持つ。4男1女の母。