現にあるリソースを活用することはできたはずだ
ただし、PCR検査体制の充実について専門知が発言することは可能のはずだ。もちろん助言者には、具体的施策や事業の決定権は存在しない。それは学校の閉鎖も同じだ。ただし、助言者である専門知は政権の「下僕」でもなければ下部機構でもない。政権への意見を西村担当相と協議する必要があるとしても、政権の行動が科学的リテラシーに欠けていると理論的に判断するならば、政権へ「提言」するとともに、ひろく社会的に訴えるべきだろう。
保健所は整理統合されたが、高齢化社会への対応としていまや全都道府県が公立保健・看護系大学を設置している。さきに都道府県・市町村との協働体制の必要性を述べたが、保健所体制の充実にむけて政治と行政が舵を切るとしても時間を要する。現にあるリソースを政府そして自治体は活用すべきであり、公衆衛生の専門知はこうしたリソースの存在を熟知しているはずである。ようは感染症とPCR検査との関連性を理論的にどのように位置づけ対策を立案するかである。偽陽性あるいは偽陰性の間違いが生じようとも、それを確率の問題として処理し悉皆調査に近い態勢をとる方が、科学的なのではないか。
政権の本音は「経済の停滞を極力避けること」だった
さきに、政権の経済再生担当相が新型コロナウイルス感染症の担当相であることを述べた。ここには安倍=菅政権の未曾有のパンデミックへの「本音」が、よくあらわれていよう。新自由主義に立脚して「成長戦略」をひたすら追求してきた政権にとって重要なのは、経済の停滞を極力避けることにある。
細切れのごとく発令された緊急事態宣言にもとづき人の流れを抑制するといい、また「新しい生活様式」なるスローガンによって個々人の行動に注文をつけつつも、「Go To トラベル」「Go To イート」といった事業を推奨した。さすがにこれは社会的批判を浴びて「一時的」に休止されている。だが、刑事罰まで採用して都市の封鎖(ロックダウン)を指向したヨーロッパ諸国とはあまりにも対照的である。政権の経済にたいする思想的立場は、このパンデミックにおいてもまったく自省されていないところに、対策の「迷走」の基本要因があるといえよう。