新型コロナウイルスの出現により、感染症対策をめぐる政治と専門家の関係が浮き彫りになった。行政学が専門で千葉大学名誉教授の新藤宗幸さんは「専門知は政治の意思を忖度し、政治に使われてはならない。専門家会議(分科会)は、より市民の感性に寄り添った、独立性のある立場を取ることができたのではないか」と指摘する——。

※本稿は、新藤宗幸『権力にゆがむ専門知 専門家はどう統制されてきたのか』(朝日新聞出版)の一部を再編集したものです。

記者会見する菅義偉首相(当時)(左)。右は政府の新型コロナウイルス感染症対策分科会の尾身茂会長=2021年9月9日、首相官邸
写真=時事通信フォト
記者会見する菅義偉首相(当時)(左)。右は政府の新型コロナウイルス感染症対策分科会の尾身茂会長=2021年9月9日、首相官邸

きわめて抑制的だったPCR検査

全国一斉の「学校閉鎖」問題は、コロナ感染症当初の政権と専門知の関係を象徴する事態といってよいが、これにくわえて専門家会議=分科会の行動に疑問がもたれ、今日なお問題視されているのは、PCR検査体制である。当初、PCR検査はきわめて抑制的であった。37.5度以上の発熱が4日以上つづいた段階で検査を受けられるとされていた。この基本的方針が政権と厚労省の協議の結果なのか、厚労省によってつくられたのか、それとも専門家会議からの発案だったのかは、いまだに判然としない。

ただし、当時の厚労省の医務技監(2017年に次官級ポストとして設置)は、大規模検査は感染リスクの低い人を拾うことになり、結果が信頼できないものとなる、と積極的な検査に否定的だったとされる(『選択』2021年6月号)。医系技官と専門家会議=分科会を主導する公衆衛生の専門知が、厚労省と足並みをそろえていたことは、事実といってよいだろう。実際、感染症の拡大がすすむにしたがってPCR検査件数の少なさには、批判が強まっていった。そして、当初の検査条件は撤廃されていくが、専門家会議=分科会が検査の拡充=徹底を政権に提言することはなかった。

1990年代以降の保健所政策の失敗

PCR検査件数の抑制は、1990年代以降の保健所政策の「失敗」を物語る。保健所の設置数と人員数は、1994年の保健所法の廃止=地域保健法の制定以降、削減されてきた。歴代政権は真剣な議論を欠いていたし、学問的にも大きな関心を呼ぶことはなかった。少子高齢化社会の進行を前にして、母子保健や老人保健に力点をおくべきとの議論が主流となり、市町村を中心とした地域保健が重視された。保健所法は自治体が独自に「保健所」に類似する名称の組織の設置を禁じてきたが、地域保健法はその規定を削除した。

その結果、市町村には母子ないし高齢者を冠した「保健センター」といった名称の組織が多数設けられた。これ自体は時代状況に応えるものと評価できよう。だが、当時、厚生省幹部は筆者に「保健所はもともと結核対策でしたから、感染症対策から転換せねばならない」と語った。これには「感染症対策はけっして時代の遺物ではない」と応じたのだが、従来の保健所の再編統合=廃止にブレーキはかからなかった。その結果、新型コロナウイルス感染症の「突然」の出現によって、保健所のリソースの少なさが重要な問題と化しているのだ。