専門知は緊急事態宣言について明確な意見を言うべきだった
とはいえ、「尾身の乱」とまでいわれた専門知の反転も腰砕けに終わった。東京オリンピック・パラリンピックの強行開催を指向する政権にたいする「無力感」にとらわれているのか、きびしい感染症対策についての提言は影を潜めた。21年6月17日、菅首相は記者会見を開き、20日で期限が切れる緊急事態宣言の解除とオリンピック・パラリンピック大会の予定通りの開催を述べた。そこには尾身分科会会長も同席したが、開催についてのきびしい意見は表明されなかった。政権と専門家集団のあいだでどのような意見の再調整があったのかは、外部からはまったく窺い知れない。
案の定、危惧されていたようにオリンピックを機として新型コロナ感染症の「爆発的拡大」が生じた。菅政権は7月12日に四度目の緊急事態宣言を東京都と沖縄県に発令した(沖縄は延長)。しかし、東京都にくわえて神奈川県、千葉県、埼玉県の首都圏での感染は拡大の勢いを増した。菅政権は東京、沖縄の宣言を延長するとともに、首都圏の三県と大阪府にも発令した。
こうした事態の責任はもちろん政権にある。ただし、一時は反転したかとみえた政権と専門知の関係は、再びもとに戻ったかのようだ。専門知は緊急事態宣言の解除・再発令についても明確な意思を表明するべきだし、宣言によっていかなる措置を充実させるべきなのかを、科学的知見をもとに提起すべきなのだ。政権は発令前に分科会に諮ってはいるが、そこで政権と分科会とのあいだで激論が交わされた形跡はない。政権が分科会の専門知の意見を受け入れないならば、説明責任は政権にある。
専門知は政治に使われてはならない
COVID-19の感染者数は2021年10月以降急速に減少しているが、その要因は科学的に解明されていない。SARSのように「収束」を期待したいが、事態が再び悪化するか、それとも好転するかはまったく予測できない。
ただし、この降って湧いたような感染症の危機とそれにたいする政権と専門知の行動は、政治と科学のあり方が社会の将来に決定的な影響を及ぼすことを教えていえよう。政権と専門知は、それぞれの立場から、検査、ワクチン接種をはじめとする予防体制、医療体制の充実にくわえて、経済社会のありかたに叡智を結集せねばならないだろう。
これらの課題のいずれにおいても、政治・官僚機構と専門知は方向や対策を同じくすることもあれば、異なることもあろう。むしろ寄って立つ思考空間が違うのだから異なることの方が多いだろう。だからこそ、専門知はその独立性を保つために、政治に果敢に意見を提示することが重要なのである。言い換えるならば、専門知は政治の意思を「忖度」し使われてはならないのだ。