医師が見た東京の二つの顔

佐々木たちがオリンピック下の東京で直面していたのは、普段はまず診療しない30~40代の新型コロナ患者と接する日々だった。政府の方針は中等症は原則入院だったが、その定義に当てはまる患者でも入院ができないという事例ばかりだった。

彼には二つの東京が見えていた。東京の風景は一見すると、何事もなかったかのように平然としている。だが、彼らが往診で見たのはこんな現実だった。

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中等症に該当する症状なのに医療機関にアクセスできず3日間苦しんでいた一人暮らしの患者、強い消化器症状が出ており、一週間近くまともに食事をとることもできないまま赤ちゃんに授乳を続けていた女性、家族全員が新型コロナに感染しているにもかかわらず、誰にも助けてもらうことができずに孤立している一家……。

マンションなどで人目が気になるという声をうけて、患者によっては家の玄関で感染防護のためのガウンや医療用のN95マスク、キャップ、足のカバーや二重グローブを着用する。本来ならレッドゾーンにあたる家の中ではなく、外で着替えることが医学的に推奨されるのだが、感染を知られたくないという要望を無視することはできなかった。

新型コロナ禍を「災害」だと政府も専門家も言っていたのに、現実は災害でも起きないような医療にアクセスできない人々が大量に残る状態になっていた。口だけで危機を強調しても、現実は動かない。

ブラックジャックへの憧れ

1973年生まれの佐々木が医師を志した理由の一つに、手塚治虫の漫画「ブラックジャック」がある。専門分野にとらわれず人の命を救う姿勢に惹かれた。大学を卒業し、医師として病院勤務が始まる。

現実の医療は「専門」が常に求められる。特に高度な医療を提供する病院であればあるほど専門分化された医療があり、治療が必要な患者がやってくる。ところが病気によっては治療しても再発を繰り返し、最後は治療の限界を告げなければいけない。彼はこんなことを考えてしまう医師だった。これで患者は幸せなのだろうか。

一度、医療を別の視点から見ようと決めて、入社を希望した外資系コンサルティング会社から内定も得た。就職するまでの間、生活のためのアルバイトにと新宿区内の在宅医療クリニック「フジモト新宿クリニック」に非常勤医師として勤めることになった。ここでの経験が彼の人生を変えた。

そこに病気や障害を持っていても、楽しそうに暮らす人々がいた。ALSの女性患者は、「不便ではあるけど困ってはいない」と口にした。必要ならばサポートを頼むことができて、病気になって常に夫が側にいてくれることが幸せだと語り、2人で外食に出かけることもあった。目の前の患者を高度な医療で治すのではなく、支えるものという価値観を知った。

ある時点で治療という選択肢を取らないと決めても、人生は続く。大病院は現代医学の知見を取り入れ、技術的にも最高の医療を提供できる。しかし「最高の医療」が個人にとっての「最良の医療」とは限らない。彼は内定を蹴って、「自分が考える最良の医療を提供したい」とこの年の8月、在宅療養支援診療所「MRCビルクリニック」を開設するに至る。それから15年――。