佐々木医師が備えてきたこと

私は、2021年2月に佐々木たちの活動を取材していた。当事、もっとも恐れられていたのは、高齢者施設でのクラスター発生だった。

千葉市の高齢者施設「生活クラブ風の村いなげ」の一角にある悠翔会の診療所を訪ねた。佐々木は隣接するサービス付き高齢者向け住宅まで訪問診療に向かい、私も同行した。フロアでは、入居する高齢者たちがスタッフとおしゃべりに興じていた。

認知症を抱えている女性は、佐々木や看護師の姿を見るとわざとマスクを外し、大袈裟に咳込むふりをしながら気を引こうとしていた。無論、彼女に悪気は一切ない。

患者の一人、80代の女性は慢性的な疾患を多く抱える。亡くなった夫の遺影が飾られている部屋で、酸素を吸入していた。数値は安定しているようだった。

「先生、また来てね。来てくれるのが楽しみだから」
「大丈夫、また来ますからね」

往診を終えて、診療所に戻るまでの短い道で「ここにウイルスが持ち込まれたら、どうなると思います?」と佐々木に聞かれた。

「率直に言って防ぎようがないと思いました。相当な数の患者が発生しますし、今はワクチンもこれからで、治療薬もありませんから、間違いなく重症化すると思います」
「そうなんです。だから、現実を前提にオペレーションを組み立てるしかないんです」

当時から佐々木が徹底していたのは、アウトブレイク(感染爆発)の予防だけではない。彼はそれが起きることを前提にして「保健所がすぐには来ない、救急車も搬送不可能という状態」でのオペレーションが必要だと考え、備えてきた。激務が続く保健所は、すぐには現場に駆け付けられないし、現状の医療体制では病院搬送も時間がかかることは目に見えているからだ。

普段からPCR検査態勢を整え、施設関係者に陽性者が一人出たら保健所の指示のもと24時間以内に施設内の高齢者、職員に検査を自前で行い、ゾーニングまで完結させる前提で動いてきた。

車椅子の介護者と高齢者の手
写真=iStock.com/kazuma seki
※写真はイメージです

原則自宅療養という政府の新方針

感染した場合、入院するのか、あるいは在宅で診るのか。佐々木たちは丁寧なシミュレーションと共に在宅と入院、双方のメリット・デメリットの説明も積み重ねてきた。

在宅でのコロナ患者の治療は、高齢者であっても決して難しくはないというのが彼らの知見だった。高齢者の場合、なにより気をつけるべき飛沫を飛散させるということはない。呼吸が苦しくなったとしても在宅で酸素吸入も可能であり、呼吸苦が強い場合は通常の肺炎と同じように痛みを取り除く緩和治療にも取り組む。

訪問前に換気をしておいてもらい、マスク着用、必要ならば医療用ガウンなどを着用すれば十分に避けられる。佐々木たちの説明を聞き、在宅での治療という選択肢があることに驚き、それを希望する当事者は決して少なくなかったという。