2011年11月、東日本大震災後の日本を訪れていた
バフェットは日本食が大の苦手で、かつてソニー創業者の盛田昭夫さんとの食事では出された日本食にまったく手をつけることができなかったほどです。もっとも、以前からソニーには興味があったようで、2000年に行われた『日経ビジネス』のインタビューでは「ソニー株に興味はあるが、割高」と購入を見送る姿勢を示しています。
日本株よりも韓国株や中国株への関心が高かったというのも事実ですが、そんなバフェットが福島県いわき市の工具メーカーの新工場完成式典に出席するために初来日したのは2011年11月だったというのは驚きです。
同年3月、日本では東日本大震災が起きており、原発事故の影響もあって、多くの外国人が日本を離れたり、来日をためらったりするなか、バフェットはあえて日本に来ています。その少し前にはテスラモーターズとスペースXを率いるイーロン・マスクも来日、福島を訪れて太陽光発電の設備を寄贈していますが、こうした勇気ある行動は日本人を励ますものとなりました。
当時の日本企業を取り巻く環境はとても厳しいものでした。輸出産業にとって急速に進む円高ドル安に加え、ユーロ安も加わったことで、かつて頼みとした欧米市場は利益の出にくい市場と化していました。韓国企業や中国企業、台湾企業の躍進も著しく、かつて日本が得意とした半導体や電気製品などの分野でも苦しい戦いを強いられていた時期です。
少子高齢化によって進む国内市場の縮小と、厳しい輸出環境に、さらなるダメージを与えたのが東日本大震災でした。これだけ悪条件が重なれば、日本企業の将来に悲観的にならざるを得ないところですが、初来日したバフェットは投資先の企業の設備の見事さや、社員の優秀さを称賛したうえで、「日本人や日本の産業に対する私の見方は変わっていません」として、次のように言い切っています。
自分たちが本当にやりたいのは日本の大企業の買収であり、「もし日本の大企業から明日電話をもらって、バークシャーに買収してほしいという申し入れがあれば、飛行機に乗ってすぐ駆けつけますよ」(『日経ヴェリタス』No.194、日本経済新聞社)