アメリカという脅威に対抗するための同盟締結

他方、国内の指導者たちの認識に視点を移せば、日本のエリートたちは、国内経済を維持するために、原材料・資源へのアクセスを維持することに苦心していた。世界恐慌で日本の貿易が減少すると、日本人はこのままでは将来が暗いと心配した。

この点をもってコープランドが、貿易に関する将来の悲観的な見込みが、太平洋戦争の主な原因だったと論じていることは、冒頭に示した通りである。この経済的苦境を打破すべく、日本は「大東亜共栄圏」構想を提唱して、アジアの地域覇権を掌握しようとした。

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日本の指導者たちは、この地域覇権を確立するというグランド・ストラテジーによって、太平洋の主要な海軍力を持つ英国や米国などの西側諸国からの脅威に対抗できると考えたのである。

こうした点について、リアリストの川崎剛は、スティーブン・ウォルト(Stephen Martin Walt)の脅威均衡理論(balance of threat theory)に基づいて、当時の日本はアメリカという脅威にバランシング(balancing)を図っていたのだと説いている。バランシングとは、敵国に対して、同盟形成や軍事拡張などを通じて対抗することを意味する。

たとえば、松岡外相は日独伊三国軍事同盟締結に向けて、国内の反対派を説得するために、9月14日の大本営政府連絡懇談会で以下のように説いている。

独伊と英米と結ぶ手も全然不可能とは考えぬ。しかしそのためには支那事変は米のいうとおり処理し、東亜新秩序等の望みはやめ、少なくとも半世紀の間は英米に頭を下げるならいい。それで国民は承知するか、十万の英霊は満足できるか。かつまた仮りに英米側につくと、一時は物資に苦しまぬが、前大戦のあとでアンナ目に会ったのだから、今度はドンナ目に合うかわからぬ。いわんや蔣は抗日でなく、侮日排日はいっそう強くなる。ちゅうブラリンでは行かぬ。すなわち米との提携は考えられぬ。残された道は独伊提携以外になし。

ここから読みとれることは、松岡外相は英米という脅威に対してバランシングするために、独伊と同盟を締結することを主張していた、ということである。

国内的な要因を論じる「防御的リアリズム」

もっとも、歴史的に見れば、太平洋戦争の起源は国際システムレベルのみならず、国内的にも見出すことができるかもしれない。

日本は東アジアに重点を置き、ヨーロッパの問題には深く関与しておらず、1920年代に議会民主主義を発展させたが、1930年代になると、軍部と好戦的な文民が政府において大きな力を占めるようになり、彼らの帝国主義的な拡大政策は、広く大衆の支持を得た。

ここで重要なことは、戦争は、国際システムの構造的要因——相対的パワーの分布、同盟関係など——のみならず、国内要因によっても引き起こされるということである。

場合によっては、システムレベルから考えたら、非合理的な国家行動が、国内における様々な歪み——軍国主義、陸海軍間抗争、官僚政治、誤認識、その他——によっても引き起こされる。こうした点を論じるのが、リアリズムの一派、防御的リアリズム(defensive realism)である。