バラマキ合戦を批判した「心あるモノ言う犬」

もう一つ。

安倍政権下で起きた「森友・加計問題」の舞台となった財務省で、岸田政権の発足直後に、「政」と「官」の関係を問うシンボリックな「事件」が起きた。

10月8日に発売された『文藝春秋』11月号に、財務省の矢野康治事務次官が寄稿した「財務次官、モノ申す『このままでは国家財政は破綻する』」と題する一文が掲載されたのである。「官」のトップである現役の財務次官が「政」を真正面から批判する文章を対外的に発信するのは、きわめて異例だ。

矢野次官は、自らを「心あるモノ言う犬」と称し、与党を中心とする経済政策論争を「バラマキ合戦」と批判。日本の財政事情を「タイタニック号が氷山に向かって突進しているようなもの」と例え、「このままでは日本は沈没してしまう」と警鐘を鳴らした。

そして、バラマキ政策の弊害をもっともわかっている財務省が黙っているのは「不作為の罪」と断じ、財務官僚としての矜持を示そうとしたのである。

さらに、後藤田正晴元官房長官が官僚に訓示した「後藤田五訓」の「勇気をもって意見具申せよ」を引き合いに出して吏道の心得を説き、「国家国民のため、社会正義のため、政治家が最善の判断を下せるよう、自らの意見を述べてサポートしなければならない」と論じた。

続けて、「政治主導」「官邸主導」が標榜されているからといって、指示待ちを決め込んだり、黙して服従するのは「血税ドロボウ」と自嘲。「公僕は、余計な畏れを捨て、己を捨てて、日本の将来をも見据え、しっかり意見具申せねばならないと自戒している」と記したのである。

行き過ぎた「官邸主導」で霞が関は沈黙

「政」と「官」のまっとうなあり方を訴えた寄稿に、衆院選が目前に迫った政界は動揺した。

政府の松野博一官房長官は「財政健全化に向けた一般的な政策論について私的な意見を述べたもの」と平静を装ったが、安倍元首相は強い不快感を示したといわれ、自民党の高市早苗政調会長が「大変失礼な言い方だ」と激しく反発、公明党の山口那津男代表も「財源の制約も考え配慮している」と反論した。

官邸外観(写真=首相官邸ホームページより)

そんな過敏ともいえる反応が飛び出しのは、「政」が「官」の優位に立つ政治力学にたっぷり漬かった面々には、矢野寄稿は「官僚の分を超えた」と映ったからにほかならない。

安倍・菅政権時代を通じて、「官」の苦悩はだんだん深まっていった。官邸に政策決定の主導権を奪われて専門知に基づく意見を言うこともはばかられ、内閣人事局に人事権を握られて「官邸の意に沿わないと飛ばされる」という恐怖心から官邸の顔色ばかりをうかがうようになった。

その結果、霞が関全体が萎縮し、「忖度そんたく」や「公文書改竄かいざん」というかつてない弊害を生み出した。