「こんなマンションで隣がゴミ部屋だったら大変でしょうね」

星野さんは都心のきれいなオフィスで、スマートに仕事をする姿がよく似合い、泥まみれ汗まみれは不釣り合いだったからだ。以前、「ゴミの中で死ぬこと」について話していた時、彼はこんなことを言っていた。

「私は人が死んでもまったく悲しくない性分なんです。仕事関係のある方が若くして突然亡くなった時、まったく面識のない妻のほうが泣いてしまう始末で、自分の冷酷ぶりに自分で驚き、戸惑いました。私は父をがんで亡くしていますが、周囲に迷惑をかけるような人だったので、その時も正直ほっとしたと言いますか……。だからゴミ屋敷の住人が亡くなったとしても、身内の方は『よかった』と思うのではないでしょうか」

撮影=今井一詞
リビングの様子。やはりエアコンの高さまでゴミが積み上がっていた。撮影までに片づけが進んでおり、当初は隣の部屋には入れなかった。エアコンのリモコンはのちほどゴミの中から見つかった。

だからだろうか。ゴミ屋敷掃除の当日、星野さんはしきりにゴミ部屋があるところと同フロアの、“周囲への影響”を気にしていた。

「(表札を見て)隣にはお子さんがいるみたいだし、こんな立派なマンションにファミリーで住んでいて、隣がゴミ部屋だったら大変でしょうね……」と、つぶやく。正直に言うと、私は星野さんからのこの発言を聞くまで、周囲に住む人の気持ちに思いをはせたことはなかった。いつも気になっていたのは、掘り下げたいと思っていたのは、“ゴミ部屋に住む人の心”だ。

「ゴミ部屋に住む人」と「世の中の主流」の間にある壁

そうか。私は部屋にゴミをためこんでしまう、その心のうちを知りたいと思う。一方で、星野さんはゴミ部屋化した人の隣に住む家に共感をよせる。彼は好奇心旺盛でフットワークが軽く、物事をさまざまな角度からスピーディーに判断する。書き手の私にとって、見落としていた部分に気付かせてくれることがしばしばある、貴重な編集者だ。

けれど一方で、星野さんとは根本的にわかり合えない。気遣いのある人だから、こちらの気持ちを察することには長けているのだけど、何も言わなくてもわかる、というような感覚がもてないのだ。彼と私との間には、コロナではやった「アクリル板」が常に存在しているような感じである。

星野さんは「物を買いそろえること」には理解を示す。「ひとごとではない」とも言う。だが、妻と子供がいる、そうはならなかった自分という視点がある気がした。批判しているのではない。ゴミ部屋に住む人は、“世の中の主流”とまじりあうことのできない壁を感じているのかもしれない。