「裁判では法医学者は代理戦争の駒」

そして大野は、現在日本では冤罪ではないかと揉めるケースが、「数多く出てきている」と指摘する。

そのなかには、到底、冤罪とは考えにくい事件もあるし、「念のために」というニュアンスで再審請求をしている場合もあるので注意が必要だが、それでも冤罪の可能性が検証されている事件は100件を超えるほどだという。

そうした冤罪疑惑が取り沙汰されるケースで、法医学者の提供する法医学的な証拠が時に軽視されたり、思惑をもって利用されたりすることは決して少なくない。

2019年7月、東京地裁は、佐藤被告に対して殺人罪で懲役17年の判決を言い渡した。判決文では、佐藤被告が阿部さんに睡眠薬を飲ませたうえ、首を圧迫して窒息死させたとして殺人を認定している。検察の選んだ証拠を採用し、検察側が勝利した。

山田敏弘『死体格差』(新潮社)

だがそこから急展開があった。弁護側は判決を不服として控訴。その際の協議で、弁護側は大野に、死因について再鑑定を依頼したのである。大野は「ピンク歯」を窒息の根拠とした鑑定の妥当性に懸念を示した。

そして2020年12月、東京高裁は一審の判決を破棄し、審理を同地裁に差し戻す判決を言い渡す展開となった。その大きな理由の一つが、やはり、ピンク歯だった。

裁判官は一審判決について、「(ピンク歯について)法医学分野で広く承認された手法ではなく、刑事裁判の証拠としては不十分」であるとし、「被告が被害者に睡眠薬を大量に服用させた可能性は非常に高く、被害者を殺害する目的があったと推認できる」と語っている。最初に遺体を法医解剖した執刀医と同じく、「首を絞めて窒息させた」かどうかは法医学による検案では証明されていない、と。

私はある法医学者が以前、語った言葉を思い出した。

「検事や弁護士の演出する“裁判”という劇場の中で、法医学者は彼らの代理戦争をする“駒”として弄ばれ、結果的に法医学者同士がお互いにいがみ合う様は、哀れでもあり、不快でもある」

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