なぜ皇族には基本的人権がないのか
いずれにしても、今回の一連の騒動によって可視化されたのは、皇族がいかに自由がない生活を強いられているかということでした。
この点について掘り下げたメディアはほとんどなく、大半の報道では、眞子さんが皇室と世間をいかに困らせているかという観点ばかりでした。今にして思えば非常に異様なことです。
ここで「皇族の人権」について少し整理してみます。
皇族の人権が一般国民と同じ扱いでないことは、選挙権・職業選択の自由・居住移転の自由がないことを考えてみればわかるでしょう。
これについては憲法学で二つの考え方があります。
一つは、皇族も国民の一員であって、原則として憲法上の権利を保障されているが、象徴天皇制を憲法が規定していることから、必要最低限の例外扱いが認められているだけだという考え方。
もう一つは、皇族はそもそも国民とは別枠の身分であって、憲法上の権利の保障はなく、単に身分上の特権や義務があるだけだという考え方。
基本的人権の制約は「最小限」であるべき
どちらも成り立ちうる考え方ではあります。
ただ、前者の説では、皇族の特殊な扱いはあくまでも必要最小限の例外でなければならないことになります。基本的人権は「最大限」に尊重されなければならないのですから、その制約は逆に「最小限」であるべきだからです。
そうなると、場合によっては皇族の自由を制限しすぎる法令や取扱があれば、憲法違反の問題が起こる可能性があるということになります。
一方、後者の説では、国民とはまったくの別身分で人権の保障がないのですから、皇族の自由をどこまで制限したとしても憲法違反の問題はそもそも起こらないという理屈になり、恐ろしく非人間的な結果になる恐れがあります。
どちらの説にしても、皇族は人権という面で一般国民とは異なる扱いになります。ここで忘れていけないことは、皇族の人々はあくまで私たちと同じ、生身の現代の人間だということです。
当たり前の話ですが、眞子さんは、平安朝の皇女でもなければ、明治や大正の宮中に生きる人でもありません。
神話上の神武天皇以来2600年生きているわけでもなく、この現代の日本社会の中に生まれ、その中で30年生きてきただけの人間です。
たまたま過去の天皇の子孫として生を受けただけで、経済的には困ることはなかったかもしれませんが、他の国民であれば保障されるさまざまな自由や権利のない、特別な扱いを受けてきたのです。