ジャガイモ安定供給の立役者

オートフライヤーによる製造工程の機械化が1967年になされたことを指して、「湖池屋がポテトチップスを始めて量産化した」とよく言われる。しかし機械化だけでは真の量産化とは言えない。機械化すればするほど、ジャガイモが均質化されていないとうまく揚がらないからだ。

画像提供=湖池屋
機械化された当時の工場(板橋区成増)

「同じ品種を大量に仕入れる必要が生じました。今もそうですけど、ポテトチップスのノウハウの半分は機械ですが、残り半分は原料なんです。ジャガイモは産地によって品種も質も違う。だから同じ産地で大量に仕入れられるところと手を組んで、そこから毎年買うのが一番いいという結論に達しました。契約農家ですね」

「当時は少しでも利益を多く出すために、ジャガイモをその都度安いところから買っていたんですよ。だから畑によって品質はバラバラ。つまり機械化には向いていない。しかも相場(その年の収穫量や需要との兼ね合いによって価格が変動する)で買っていました」

ここで登場するのが、北海道・士幌農協(士幌町農業協同組合)の組合長を務めていた太田貫一氏だ。よつ葉乳業の創業者にして、後のホクレン(ホクレン農業協同組合連合会)会長。2019年のNHK朝ドラ「なつぞら」で藤木直人が演じた柴田剛男(ヒロイン・なつの養父)のモデルになった人物ともいわれている。

「太田さんは北海道史に残る有名な人。親父が彼に『大量に同一品質のジャガイモが欲しい。しかも相場じゃなくて、毎年同じ値段で』と話をしたんですよ。太田さんは二つ返事でOKしてくれました」