2人の母親介護

以降、花田さんは、義母と実母の在宅介護に明け暮れている。

短期記憶障害の義母(85歳)は、新しいことを少しも記憶することができない。紙に書いても読まず、大切なものをどこかに片づけてしまい、片付けた場所を忘れてまた訊ねてくる。今一緒に暮らしている家族は、結婚前の自分の両親や兄弟姉妹だと思い込み、亡くなった義父や自分の子どもたちの存在を忘れるときが増えた。かろうじて花田さんのことは、「息子の嫁」とわかっているようだが、肝心の息子が誰だかわからなくなっている。そしてそんな義母にイライラをぶつける夫を目の当たりにするのもつらい。

せん妄症状がひどい母親(87歳)は、毎日のように花田さんを責め、ののしり、理解不可能なことを言ってくる。花田さんが「違う」と言っても、憎しみを孕んだ目で「信用できない」と一蹴。いつからか、気づけば母親は一人では歩けなくなり、移動は家では手引き歩行、外では車いすとなっていた。

「自分の中では、最優先で母を看ているつもりなのに、それがわかってもらえず、母のことを嫌いになりそうでつらいです。また、旅行や外出が大好きな夫を、介護のために我慢させてしまっている気がして、申し訳ない気持ちになります。今が一番精神的に苦しいです。『もういい! 誰一人私に協力してくれない! 消えたい!』と思い、何もかもが嫌になってしまう時があります」

写真=iStock.com/Oleg Elkov
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今年8月、母親は心不全の悪化とNK細胞慢性リンパ球増殖異常症、下顎骨髄炎などを発症し、治療のため入院。母親が入院し、少しは楽になるかと思った花田さんだったが、母親は入院した病院から深夜でも早朝でもお構いなしに電話をしてくるようになり、花田さんは寝不足に悩まされた。

さらに同じ月、母親は入院先の病院で転倒し、外傷性クモ膜下出血発症。知らせを聞いて駆けつけた花田さんだったが、命に別状はなかったのが幸いだった。

「母は、結婚後も、義父母や義姉に関する悩みを抱える私の一番の相談相手でした。いつも私の愚痴を聞いて、ストレスを軽くしてくれました。私は母がいなくなってしまうかと思うと、目の前が真っ暗になります。ずっと『娘に迷惑をかけたくない』と言って、同居を拒否してきた母。良妻賢母という言葉がぴったりの人でした。一方、義母は、自分最優先のお嬢様で、気に入らないことがあるとすぐ怒っていました。そういうところは義姉とよく似ています。でも今は、私が一番の頼りのようで、私に気を使って、とても素直なかわいいおばあさんになっています。が、夫には昔の義母が顔を出します」

介護がつらいとき、花田さんの救いになるのは、夫と、離れたところにいる2人の娘と、ケアマネジャーだった。

夫は育児に関しては協力的だったが、介護に関しては、自発的に手を出すことはなかった。義父の介護はよく手伝ってくれたが、義母は夫が相手だとすぐに激昂するので、義母にはあまり近づきたくないようだ。だが、花田さんが苦しいとき、一番側で受け止めて支えてくれたのは夫だった。

東京にいる長女と結婚して家を出た次女とは、LINEグループでつながり、花田さんが悩みや愚痴を書き込むと、励ましたり、勇気づけたりしてくれる。ケアマネジャーは、月1の面談の度に花田さんの言動を肯定してくれ、花田さんは肩の力を抜くことができた。

花田さんの7歳上の兄は、家族を九州に残し、東京で単身赴任をしている。母親が僧帽弁閉鎖不全症になって以降は、よほど忙しいとき以外は毎日母親に電話をした。花田さんと母親が同居してからは、花田さんが兄にLINEを送るようになっている。

「兄との仲はいい方だと思います。忙しい人なので、年に1〜2回しか会えませんが、母の介護について相談すると、『僕がとやかく言える立場ではない。任せっきりで申し訳ない』と言ってくれています」