要するに、「成長と分配の好循環」という看板は良いとしても、重要なのは成長と分配の因果関係である。立憲民主党の枝野代表は次期衆院選公約として「分配なくして成長なし! みんなを幸せにする経済政策」とのスローガンを発表している。

これは因果関係が逆ではないかと筆者は思う。「分配なくして成長なし」の側面が全くないとは言わないまでも、コロナ以前から国内市場の縮小が懸念されていたことを思えば、「成長なくして分配なし」が通常の発想ではないか。つまり、成長が原因、分配が結果である。そう考えた時に増税を連想させるような情報発信は好ましくない。

岸田新政権に課された最初のハードル

短期的に見ても、成長率の復元は急務である。周知の通り、コロナ禍の成長率や物価に関して、日本の劣後は先進国であまりにも大きい。とりわけ物価に関して言えば、欧米でインフレ高進がリスク視されている傍ら、日本では逆に下落している(図表2)。

携帯電話料金の引き下げなど特殊要因が寄与しているにしても、彼我の差はあまりにも大きい。前回のコラム「『どれだけワクチンが広がっても“まだ油断するな”』これで日本の経済が回復するはずがない」で議論した通りだが、こうした状況は高いワクチン接種率という「手段」を経済正常化という「目的」にリンクさせることに失敗した結末だと筆者は考えている。

この「手段の目的化」とも言える状態から脱却し、欧米のような成長軌道に乗せられるのかどうかが岸田政権に課せられた最初のハードルだろう。よって、目先最大の注目点は何を置いてもコロナ対策にしかなり得ない。多くの大衆もそう考えるはずである。

10月1日から完全に解除された行動規制をどこまで持続できるか(というよりももう二度と行動規制をかけずに済むか)が政権安定の試金石になる。そのために必要なことは「新規感染者主義からの脱却」と考える。新規感染者数と支持率がリンクするような従前のような状況では誰が首相でも政権運営は安定化しない。大袈裟ではなく、退陣表明が2週間遅ければ感染者数の激減を受け菅政権は持続していた可能性もある。