この時、「大人になってから博物館に行ったことがある人?」と尋ねると、あると答えた人は200人のなかでほんの数名だった。上野には動物園、美術館、博物館が並び、知的好奇心が旺盛な人が多いはずだと考えていた森さんにとって、それは衝撃的な現実だった。一方で、居酒屋と同じく、大人も子どもも骨の解説をすると食いつきがよく、楽しんでくれているのが明らかだった。それは大きな収穫だった。

1000円札を出した若者との出会い

この後、森さんは時間の許す限り路上に出かけ、2018年末までに10回以上の展示を行った。11月23日から翌年の2月24日まで、京成電鉄の「旧博物館動物園駅」駅舎の公開に合わせて開催された展示会にも参加。そこでは、この駅が閉じた1997年に上野動物園で亡くなったパンダ、ホァンホァンの頭骨のレプリカを展示し、話題を呼んだ。

こういった活動を職場でもアピールしたところ、国立科学博物館が設立し、2019年の4月に始動した科学系博物館イノベーションセンターで非常勤職員として働くことになった。一部からはレプリカを作ることに対して「本物の価値が損なわれるんじゃないか」と疑問視する声もあがったそうだが、森さんはわが道を突き進む。

写真提供=路上博物館
「路上博物館」には多くの親子が集まった

着任してすぐの4月、知人から「地域のイベントに出ない?」と誘われて、文京区の路上に立った。試しに投げ銭を求めてみると、何人か、おひねりをくれる人がいた。そのなかに、ひとりだけ1000円札を出した若者がいた。

「なんていい人だ!」とテンションが上がった森さんは若者と挨拶を交わし、連絡先を交換した。数日後、若者からメールが届いたのをきっかけに、ふたりは密にやり取りをすることになる。

5年の雇用期限を前に起業を決意

その若者は、齋藤和輝さん。森さんの取材の際、同席してくれた齋藤さんに、なぜ1000円だったんですか? と聞くと顔をほころばせた。

「僕は経済学部の卒業なので、ひとりで博物館に行っても得られる感想は『大きい』とか『強そう』という程度です。でも、森さんの話を聞きながら目の前にある標本を触るとすごく納得感がある。同時に、じゃあこれはどうなんだろう? と新しい疑問が浮かぶ。自分のなかから問いが生まれるこの体験がとても面白かった。僕は以前から、面白いものには紙のお金を出そうと決めていたので、1000円を出しました」

当時都内のIT企業で働いていた齋藤さんは、間もなくオーダーメイドのワークショップ開発で起業しようというタイミングだった。奇遇にも、森さんも1年後の身の振り方を考えている時期だった。非常勤職員は5年いっぱいで職場を離れるのが慣習で、2015年から働き始めた森さんも、2019年度末に離職することが確定的だったのだ。

この頃になると、森さんの取り組みが業界内でも知られ始め、個別の依頼が入るようになっていた。これで飯を食っていけたらいいなと思い始めていたタイミングで起業直前の齋藤さんに出会ったのは、運命的だった。ふたりは意気投合し、一緒に独立することを決意する。