『弁護士は成功者だ!』は恥ずかしい

写真=一法律事務所
タクシー運転手から弁護士に転身した射場守夫さん。キャリアをジャンプアップしたつもりも、実感もないという

司法試験に合格した後は、2005年から米子市の弁護士法人で働き始めた。出雲市で働く妻と法廷で争うことがないよう、1時間かけて隣県に通勤している。長い時間を要したが、弁護士になっても特別感慨深いものはなかった。

「みなさんの感覚は違うかもしれませんが、私は単にタクシー業界から弁護士業界に転職したに過ぎませんから。『弁護士はすごい! 成功者だ!』と扱われることもありますが、そう思うほど恥ずかしいことはないですよ。

賢そうな人が、賢そうな試験に受かって仕事をしているというだけです。そう見られないように、ずっとこだわってきたつもりです。

埼玉県で行われた新規登録研修のときは、周りは東大生や有名大学を卒業した立派な人ばかり。彼らは若い頃から素直で賢いわけですよ。でもね、そうでない弁護士がいても面白いじゃないですか。確か私の年、司法一次試験からの最終合格者は3人だけでした。

改めて自分の経歴に誇りを持つようになりましたね。それに外側にいた時はわからなかったけど、法曹界には、思っていたよりもいい人が多かった。それが一番の気づきでしたね」

弁護士として働き始めて6年半が経つ頃、勤めていた弁護士法人を退職。子供の成人に合わせて、出雲市からも離れた。結果的には独立という形で、2012年、大和高田市に自身の法律事務所を開業した。

根底にあるのはサービス業「予想の斜め上をいきたい」

家族と離れての奈良県への移住。ここもまた、縁もゆかりもない土地だが、その理由は射場さんの趣味と関係していた。弁護士になってからは睡眠時間を削り、朝から晩まで働き詰めだった。

少しずつ仕事に慣れ、余暇を楽しむ時間ができたことで、小学校時代からの趣味である遺跡巡りに時間を使いたいと考えた。単純に遺跡が好きだから。本当にそれだけの理由で、奈良の地で事務所を開業したというのだ。

「奈良を選んだのは少し歩けばそこらじゅうに遺跡があること。それだけですね(笑)。奈良県には実に数千の遺跡があり、質、量ともに群を抜いている。死ぬまでにその全てを見たいという欲求が抑えられなかった。たぶん10年かかっても難しいでしょうが、それが今の夢です」

奈良県に拠点を移してからは、主に民事裁判で相続や借金問題など身近な事案を取り扱うことが多くなった。土地柄、高齢者からの相談も少なくない。当初の想像よりも何倍も弁護士の仕事を楽しめているという。

その最大の理由は、多種多様な人間模様を見ることができるからだ。その感覚を持てたのはタクシードライバーとしての経験があったからだと射場さんは続ける。

「弁護士とタクシーに共通するのは、人間の複雑さに触れる仕事ということです。世の中には本当にいろんな人がいると改めて感じます。私の根底にあるのは、サービス業に従事してきた経験。

手を抜かないだけではなく、何かの付加価値をつけると人って喜ぶ生き物だと思う。その予想の斜め上をいきたいな、というのは常に考えています。そういった配慮は、タクシーの仕事をしていたからやれている部分も大きいと今は理解できる。

もし仮に大学を出て、素直に弁護士になっていたとしたら、仕事に対しての意味や意義を見いだせなかったでしょうね」

事務所のモットーは、相談者と同じ目線に寄り添うことだ。

コロナ禍の今でも、射場さんの事務所を訪れる相談者は減るどころか、増加の一途を辿っている。

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