夜勤のタクシー運転手と司法試験の勉強を両立

大卒資格がない射場さんにとって、当時は司法一次試験(大卒程度の一般教養試験)から受験する必要があった。これまでの仕事をキッパリと辞め、岡山市内でタクシードライバーとして働き始めたのもこの時期に重なる。

驚いたのは、尾道市の出身である妻かよ子さんも同じくして、司法試験の勉強を始めたことだ。そして共働きをしながら子育てをし、揃って合格している。射場さんが述懐する。

「私が司法試験を受けると言うと彼女も『それなら私もやりたい』と言い出しまして。彼女もパートで家計を支えながら、空いた時間は勉強。育児も協力しあいました。共倒れになるわけにはいかないので、私がフルタイムで働いてまず彼女に試験に集中してもらった。

結果、妻は2000年に合格し、私は2003年に合格しました。彼女が先輩弁護士になったわけです。よく『大変だったでしょ』『不安はなかったの?』と聞かれますが、人生と違って答えがあるわけですから。もともと勉強は得意でしたし、答えがあるのならば合格できるだろう、と。

当時は年に700人の合格者を出していましたし、頑張ればなんとかなるだろうと(笑)。もちろん小さな子供もいる中で時間を作るのは苦労しましたが、ただの資格の勉強と割り切っていた。特別苦しかったということはないですね」

なぜ一時的にタクシー会社を選んだのかと訊ねると、座り仕事で、勉強の時間が確保できると判断したからだという。

岡山では2つの勤務体系を経験している。はじめは隔日勤務で働き、月に25万円程度の収入を得ていた。だが、朝8時~翌3時までという勤務時間は勉強に適さなかったため、効率性を考慮して夜勤のみに変更した。

「勤務中でも工夫次第でいくらでも勉強ができる」

当時は今ほど業界が高齢化しておらず、40~50代のドライバーが中心だった。それでも働いた事業所では、20代の新卒1人を除けば射場さんが2番目の若さだったという。

先輩ドライバー達は、誰も詮索や干渉をしてこなかった。その雰囲気が心地よく感じた。

「『お兄ちゃん何でここに来たの?』と聞かれて、実は司法試験合格を目指してますと答えても『へー』くらいのものでしたから。基本は個人商店に近いので、勤務中でも工夫次第でいくらでも勉強ができるわけです。

お客さんが乗ってない時間は講義のテープを流し、停まっている時間や休憩中は一問一答の択一問題、論文を解く。睡眠時間以外は極力勉強に充てていました。そういう意味で、タクシーを選んだことは正解だったと思います」

出雲市に引っ越しするまでの間の約5年弱、射場さんは変わらずタクシードライバーを勤めた。2003年に司法二次試験に合格するまで、日々街を走っては、猛勉強という険しい生活を続けたことになる。

「起きている時はほとんど勉強していて、費やした時間は正確に覚えていない」とあっけらかんと話すが、この言葉だけでも、仕事をこなしながら弁護士という狭き門を突破することの難しさが窺い知れる。