厚子さんは「最期は家で過ごしたい」と応えた

「もって2カ月でしょう」

担当医は家族にそう告げた。そして「この後はどうしますか?」と問いかけた。治らない患者を前に、もう熱心に治療する気がないようだった。

「(抗がん剤が)効かないから、次は緩和治療のために緩和病棟に移ってください、と流れ作業のように言われたんです」。徹治さんは当時を振り返り、「もっと向き合ってもらいたかった」とつぶやく。

夫の嘉規さんは抗がん剤が効かなくなったことだけを妻に伝えると、厚子さんは「最期は家で過ごしたい」と応えたため、家族は担当医に「在宅診療に切り替えたい」と申し出た。

「女房の母親がずっと病気のため入院していて、手術が終わった後に目が覚めないまま帰らぬ人になってしまったんです。それが本人はすごく悲しかったみたいですね。家族が立ち会えないこともそうだし、最後の瞬間に自分の意識がないまま逝く、というのが嫌だったようです。そういう意味で在宅を希望したんでしょう。女房は介護ヘルパーをしていたんで、在宅の状況も、自分の死期もよくわかっていたと思います。本人は緩和治療に否定的だったのですが、元同僚のケアマネジャーさんに説得されて訪問看護師の方を紹介してもらい、訪問医にも来てもらう体制を整えました」

「小畑さんがうちに来るとぱっと明るくなって」

この時に出会ったのが、のちに厚子さんの心を支える訪問看護師の小畑雅子さんだ。小畑さんはいつも笑顔を忘れず、時にユーモアをまじえて周囲を和ませながら、キビキビと働く。だが陰では、患者や家族のことを案じて、たびたび涙を流す細やかな人でもある。

徹治さんも「親しみやすくて、小畑さんがうちに来るとぱっと明るくなって」と言う。

筆者撮影
柿谷徹治さん夫妻。厚子さんのことを振り返ると自然に笑顔となる。

「母が頼りにしているのがわかりました。ケアマネジャーさんもさまざまな手続きを進めてくれて、車いすや介護ベッドをすぐに用意してくれました。私たちを遠慮なく呼んでください、使ってくださいと言ってくれたんです」

厚子さんはここから2カ月間、自宅で寝たきりの生活になった。

母親っ子だった徹治さんは、兄嫁から「もって2カ月」という医師の診断を電話で聞いた時、とても受け入れられないと思ったという。その日のうちに長年勤めていた会社の上司に状況を話し、休職を申し出て実家に戻った。