養女たちへの性虐待

また、先のポルトガル人宣教師フロイスによれば、秀吉は、「重立った貴人たちの大勢の娘たちを養女として召し上げ、彼女らが十二歳になると己れの情婦」(『フロイス日本史』)にしたといいます。つまりは12歳の養女たちを大勢犯していた、と言うのです。

大塚ひかり『毒親の日本史』(新潮新書)

しかも、そうした秀吉の、「色事の取持ち役を務めたのは徳運(施薬院全宗)と称する、すでに七十歳に近い老人で、当初は比叡山の仏僧であり、(現今)我らの大敵であります」とフロイスは記しています。

フロイスはキリスト教を弾圧した秀吉にいい印象を抱いてはいなかった上、仏僧は「大敵」と言っているので、話を割り引いて受け止める必要はあるでしょう。

が、秀吉は6本指だったという彼の指摘(同前)など、かつては荒唐無稽とされていたものが、別の資料により事実と分かるなど(渡邊氏前掲書)、実際に秀吉に接した外国人の証言として重視されています。

『フロイス日本史』には、秀吉がキリスト教会関係者に、海外に奴隷として連行された日本人を日本に連れ戻すよう計らってくれと訴え、そのための対価も支払うと言ったことも記されており、必ずしも悪いエピソードばかりを伝えていたわけではありません。

フロイスの記事はかなり正確で、養女を情婦としたという指摘も、現実を反映していた可能性があります。

甥一族を皆殺しにしてまで、秀頼に天下を譲ろうとしたものの、その前に死んでしまった秀吉でしたが、もしもうんと長生きすれば、リア王よろしく、秀頼やその母・茶々にないがしろにされる晩年が待っていたのかもしれません。

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