女性議員の比率は日本より高く、政権批判も自由にできた

ですが、タリバン政権崩壊以降の20年間で、アフガニスタンは目覚ましい発展を遂げました。

アフガニスタンの国民は、もともと陽気でアクティブな性格です。人口の約7割を占める若年層が中心となって日本や欧州に追いつけ追いこせと躍動していました。

人々は皆スマートフォンを持ち、数十ものテレビ局や100チャンネル以上あるラジオを視聴して、自国のみならず世界各国の最新情報を得ながら生活していました。メディアでは女性キャスターが活躍し、国民誰もがおおっぴらに政権批判をできるほど自由でした。

この自由を保障したのが2004年1月に採択されたアフガニスタン・イスラム共和国憲法です。

名前の通り、イスラム教を国教とした憲法ですが、第22条には、「アフガニスタン市民のあいだで、いかなる種類の差別も禁じられる。アフガニスタン市民は、男女を問わず、法律の前で平等の権利と義務を有する」と書かれています。また、第34条には、表現と報道の自由の保護が規定されています。非常に民主的な内容の憲法です。

それまでタリバンに支配されていた政治は、憲法によって直接選挙による大統領制が定められました。議会は長寿院(上院)と人民院(下院)の二院制で、議席の一定数を女性議員が占めることが決められています(※)

※編集部註:34の県から、県ごとに少なくとも2人の女性が選出される。この結果、下院の27%は女性議員だった。

この憲法下で複数回行われた選挙によって、議員構成は大きく変化しました。常に銃とともにあるような年老いた軍閥出身の議員は回を追うごとに減り、女性や若者が増え、議会の新陳代謝が進んでいきました。直近の投票率は45%です。

女性議員の割合や選挙の投票率については、日本より進んでいると思うのは私だけではないと思うのですが、どうでしょう。

とにかく、市民は政治に高い関心を持ち、自分たちで国を良い方向に持っていこうという強い意志があったのです。

写真=AFP/時事通信フォト
2019年10月2日、アフガン大統領選の開票作業。男女が同じ部屋で作業に当たる(アフガニスタン・カブール)

アメリカ軍の駐留があっても、国民は前を向いていた

私の幼少期、アフガニスタンはザーヒル・シャー国王が治めていました。アフガニスタンに初めての民主化路線を敷いた人物です。第二次世界大戦では中立を保ち、戦後には日本やイギリスの資本導入を行うなど外交にも長けた国父と呼ばれる人物です。

そんな彼が1960年代に導入した憲法と、アフガニスタン・イスラム共和国憲法は非常によく似ています。実際に国会の構成、司法府のありようなどベースにしたともいわれています。ザーヒル・シャーが作った憲法は、立憲君主制を導入し、出版や政党の設立の自由を認めました。このイスラム諸国の中では先進的な憲法により、アフガニスタンは大いに発展したのです。多くのアフガン人が新しい憲法を見て、「あの幸福な時代がもう一度来る」。そう思っていました。

未熟な民主主義だったのは自覚しています。カルザイ大統領や老議員の汚職が頻発したのは事実です。議会には課題が山積みでした。アメリカ軍の駐留があっての平和維持だったのも確かです。それでも、国民は皆前を向いていたのです。民主化の萌芽は見えていたのです。